伏虎中学校の跡地活用に関する基本構想を、和歌山市が発表しました。既に伝えられ、議論もされています。和歌山市民会館を移転させ、県立医科大学薬学部を新設する内容です。

 市民会館は「市民文化交流センター(仮称)」とし、県民文化会館とすみ分けを図るため、800〜1000席の中規模ホールをメーンにし、多目的ホールを設置します。一方の薬学部は、進学と就職で若い世代の転出に歯止めをかけるのが目的です。6年制で学生は600人。市民会館も大学も2021年度の開設を目指します。

 この発表に先だち、これらの計画に対する市民アンケート結果を、和歌山市は公表しています。市民会館移転にも大学開設にも6割を超える肯定的な回答が集まっています。「最初に計画ありきで市民がまるで参画できない」との不安の声が聞こえてきます。私自身留保したい点はあるものの、大枠ではいずれの計画にも反対する気はありません。大学誘致などはぜひ実現してほしいです。ただ割り切れないものが少し残ります。

 これは県も明らかにしていますが、これだけ中心市街地が空洞化したのは、過去の行政が明確な都市計画を持たなかったのが大きいようです。80年、90年代と、郊外に安い住居、新施設を求める時代の風潮に流され、行政は市街化区域の拡大をプランのないまま進めてきました。しっかりとした都市計画を持ち、中心市街地の空洞化を免れている都道府県があるのを考えると、実は私たちは大きな迂回を強いられているのです。

 とはいえ当時の時代の波に「ちょっと待て」と思うのはよほどの覚者でないと無理でしょう。私が言いたいのは、中心市街地活性化の施策は、過去のまちづくりの失敗を補っているのを忘れてはならないということです。その時代に求められる判断が100年先も生きているか。逆に打撃にならないか。大学誘致は大事業で大変だと思いますが、かつて大学はまちなかにしかなかったのです。

 歴史的な経緯をふまえると、現構想をいかに有機的なまちづくりにつなげるか、徹底的な議論が必要だと思います。時代にしばられたものの見方から免れ、100年先を見通すには多様な意見を交わすという古典的な方法しかありません。今、和歌山の新たな顔をつくろうとしています。ここをはぶいて〝まち〟は生まれません。 (髙垣)