提案者:林口 秀司(戦争・空襲体験伝承者の会)

 2015年10月、総務省が人口調査で戦後生まれが人口の8割を超えたと発表しました。戦前戦中のことを知る人が少なくなってきました。先輩の話ですが、戦争の事を孫たちに話した時に「戦争中には食べ物がなく、食べ物の夢ばかり見ていた」と言ったら、孫たちに「食べ物がなかったらインスタントラーメンを食べたらよかったのに」と言われたと聞きました。考えると、今の子どもたちは身の周りに食べ物がうんとある中で、食べ物がない世界は想像もできない世界だと思えます。

 戦後71年を迎える今日、日本が戦争を起こし、アメリカ、イギリスを敵にして戦ったことを十分知っている人は何人いるでしょう。多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期、1945年7月9日の和歌山大空襲が3ヵ月後にやってきます。

 15年末、私たちが立ち上げた戦争・空襲体験伝承者の会での聞き取りで「空襲は怖くない、逃げずに火を消せ」の空襲法制で逃げず、和歌山大空襲時に屋形の交差点の西側で一家全員が防空壕の中で蒸し焼きになったのを見たと聞きました。戦時下にこのような法制が存在した事を聞いたのはこれが初めてでした。

 この時、和歌山市の中心部がB29による無差別の空襲に襲われました。アメリカ軍の記録には「和歌山市の建物密集地4平方マイルのうち52・5%を破壊。焼夷弾800・3㌧を使用した」と書かれています。

 広島・長崎には、戦争を記録した展示館があり、戦争の事を詳しく展示しており、平和学習に内外を問わずこの館を訪れる人が絶えません。どんな事があっても戦争をしてはならぬことを教えてくれます。

 しかし、和歌山市には、死者1200人以上と被災者11万人以上を出した和歌山大空襲の資料を集め、伝える展示施設がありません。1987年12月に「和歌山市非核平和宣言都市」を決議し平和を望む和歌山市として様々な事業をしてきています。

 私は、今、世界情勢と日本の国情から過去の戦争を正確に捉えるため、この事業に市民がだれでも気軽に訪れやすく、子どもから大人まで平和学習の場となる「和歌山大空襲と戦時下の生活」を記録したものを展示する施設をつくる法案を提案します。 

この法案にご意見を

 「賛成・反対・どちらでもない」のご意見とその理由、氏名、年齢、職業、住所、電話番号を書いてお寄せください(匿名希望の場合、その旨も明記ください)。次号以降掲載致します。抽選で毎月3人に1000円分のクオカードを贈ります。
 なお、皆さんからの「和歌山よくする法案」も募集中です。
【応募先】
編集部「よくする法案」係
郵送=〒640・8570 ニュース和歌山
FAX=073・431・0498
メール=nwtoko@nwn.co.jp

 

法案への読者の声

4月2号掲載 「ダメ」はできるだけダメ

 一番良くないのは「危険だからダメ!」と一方的に規則や規制で禁止すること。ケガはないが、夢や成長に必要な経験も奪ってしまいます。 (フォトグラファー・末藤慎一朗)

sansei 今、公園や道路、学校など様々な環境の中で、安全管理の必要性が求められている。安全の中で育つ子どもたちの中には危険を認識できずに事件や事故に遭う子もいて、大きな問題となる場合がある。自分の体験を通して会得する経験が本当に必要で、それが判断力になる。失敗したり、チャレンジしたりすることで、子どもたちはたくましく成長し、次世代の担い手となる。そのためには社会全体が協力して、ダメと禁止するだけではない世の中にしていくことが必要だと思う。(ヨガ講師 匿名・47歳)

 法案の内容は、和歌山に限らず全国的な事象だ。親が過度に干渉せず、教え、見守ることが大事だと思う。現在、私はボランティア活動で子どもクラブを手伝っているが、私が子どものころと違い、子どもたちは工具類の使用経験がない。私たちは小学2年生程度で小刀を持参し、鉛筆削りを実習した。現在はカッターになるのだろうが、小学3年生で初めて見る子もいる。日本の科学技術、医学の発展、ノーベル賞受賞などの背景には、手先の器用さ、工具、器具の扱いがある。これは小さいころからの慣れが必須。危ないからと言って、させないのは良くない。(無職 匿名・64歳)

 ダメダメを連発すると、ダメ人間にしてしまうのではないだろうか。私はその昔、春ともなれば帰宅後、ランドセルを投げ出して遠くの畑へ山菜採りに出かけたり、高い柿の木に登って誇らしげにしたり、その他、危ないことにも挑戦した記憶がある。それでも親は何も言わなかった。昨今は世の中が一変し、界わいには危害が及ぶ可能性が潜んでいる。「危ないからダメ。するな」は当事者にとっては、まさかの時の責任上やむを得ないのかもしれないが。(無職 匿名・80歳)

hantai そもそもダメと言われてもそれを乗り越える人間性を育むのが大切。社会の基準と自分の基準は違うということが大事で、ダメと言われていないからするというのはどうか。ダメと言われている意味を考え、必要な事はする、必要でなければしない、する場合は方法を工夫すればよい。大事なのは乗り越える力であり、なくなったのはそれを見て干渉し合う環境だと思う。(喫茶店経営 村上洋一・39歳)

 ダメと言うにはそれなりの理由がある。最悪の場合、命にかかわることを想定しているのだと思う。提案者が述べているスケートボードで考えてみると、衝突した場合に何かの拍子で転倒し、打ち所が悪ければ、死亡することも考えられる。スケボーをしている人の一部はヘルメット未着用で、そういった事故に巻き込まれることが多い。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、事故を起こさないためにも事前にルール作りや防具の装着をするのが、本来あるべき姿だと思う。(契約社員 川﨑健太・32歳)

3月26日号掲載 子どもたちにアートの遠足を

dochira 提案内容は素晴らしいが、子どもたちの柔軟性、多様性の育成につなげるには年1回の遠足では不十分。中高生になると課外活動は授業じゃないから楽との考えから、真剣に取り組む子どもが果たしてどれくらいいるか疑問。結局、アートであれ何であれ、興味あるものにひかれていくというのは自然な流れであり、日ごろから様々なことに触れさせるのは家庭での役目が大きいのでは。(主婦 匿名・30歳)

(ニュース和歌山2016年4月13日号掲載)