文部科学省が道徳の教科化を検討していると聞き、戦前の修身への回帰かと抵抗を覚えますか。こんな荒れた世の中ゆえ仕方ない、と考えますか。道徳の荒廃を言うのなら、まず学び、体現すべきは大人です。子どもは大人の鏡なのですから、身近な大人が実践していれば授業を持つまでもないでしょう。

 道徳と言えば、私が最近、衝撃を受けた話があります。京都大学の総長となった山極寿一教授が著書『暴力はどこからきたか~人間性の起源を探る』(NHK ブックス)や『「サル化」する人間社会』(集英社)で記すゴリラについてです。ぜひ両書をひもといてほしいですが、なんと「ゴリラの社会には勝ち負けとい う概念がなく、平和的な資質は人間よりある意味優れている」というのです。

 ゴリラは集団内で、けんかが起きると、誰かが必ず仲裁し、間に入ったゴリラはどちらの味方もしないそうです。大人同士のけんかでも、そもそも優劣の概念 がないので、子どもやメスでも堂々と仲裁をし、対等に決着がつく。しかも仲直りする時は、もめていたゴリラ同士は対面し、じっと顔をつきあわせて見つめ合 い仲直りをします。この行為を通じて、互いに相手の気持ちを読み取るのです。

 これに対比されるのはニホンザルです。山極教授の整理では、サル社会は、序列で成り立つピラミッド社会で、個体の欲求を優先します。そのため他者を負か し、常に自分は勝とうとする。ニホンザルでけんかが起きると、優位なサルに大勢が加勢し、けんかを終わらせるそうです。

 両書に指摘がある通り、今や人間の社会はサルに近いと思われます。物事の道理が群れの力に負けるのも震災以降、嫌というほど見てきました。子どものいじ め問題をみても人間の中のサル性が騒ぐからと言えてしまうように思えます。けれど、それじゃ駄目だよね、という所がヒトが人間たるゆえんではないでしょう か。他人同士、集団同士で別々の物の道理を突きつけ合うのではなく、いかに共感しあえるのか。それを探る営為こそ人間のサル化を防ぐのです。

 いきなりの総選挙も近づく中、ゴリラとサルの対比は、私たちがこれから、めざすべき社会像を考えるうえでヒントになる気がします。それにしてもゴリラは 偉い。当たり前の営みとして平和を守り、それを誇ることなく普通に暮らし死んでいくのです。 美しいです。 (髙垣)