提案者:大上敬史(熊野古道研究家)

 第一条 この法律は、日本国において、和歌山県が最高位の自治体であることを、県民が自覚し、その繁栄と宣伝活動、教育を行い、今後、特段の規定をするものとする。

 〝近畿のおまけ〟と揶揄(やゆ)されることに反感を持つ人も多いと思う。和歌山をよくするには、近畿のおまけからの脱却が必要ではないか。近畿2府4県の1番下位で、足を引っ張っているかのような間違った認識を持つ人も多い。悲しいのは都会で「和歌山出身」とあえて言わない若者の存在だ。和歌山は、本当に近畿のおまけなのか。

 私は長年、熊野古道を研究している。少2016111905_houanなくとも1000年前は「蟻の熊野詣」と言われるくらい上皇や貴族、庶民が訪れ、熊野は崇敬の対象であった。まさに、誇り高き和歌山であったのだ。その和歌山が、なぜそこまで言われるようになったのかを考えてみた。

 原因は、戦後、豊かになった生活、お金があればなんでもできるという感覚だろう。だれもが経済活動に邁進(まいしん)したため、「貧」は「悪」という誤った認識につながった。

 私が子どものころは、「おかいさん(茶粥)」をすすって育った。和歌山では当たり前のことで、米の量が極端に少ない薄い粥が特徴だ。芋を入れた芋粥はぜいたくだと感じたくらいだ。これは、実は貧困だからではない。熊野詣に来た僧や庶民たちは食うや食わずで歩き、みな飢えていた。熊野古道沿いに住む者は彼らを支え、「貧」は「徳」であることをだれもが知っていたのだ。今の飽食の時代こそが異常であって、これが長く続くとは思えない。

 この特措法では、和歌山を高く宣伝した企業、団体、個人には願い事がひとつだけかなうという「ヤタガラスの感謝状」を贈る。逆に、これ以上、和歌山を近畿のおまけ扱いする人には〝怒りのヤタガラスによる公開突っつきの刑〟というペナルティを科すというのはどうだろうか。

(ニュース和歌山2016年11月19日号掲載)