クリスマスになると、小びとが現れるのですよ。若いころ出会ったドイツ人の男性から聞きました。小びとと言っても姿を見た人がいるわけではありません。クリスマスまでの1週間、ドイツのある地域では、知らない間に靴が磨かれていたり、勤め先の机に美しい花が飾られたり、プレゼントが置かれていたりするというのです。

 現代の日本なら、そんなことがあると、ちょっとだれ? 気持ち悪い…となるかもしれませんが、みんな心得ていますから、大丈夫。その時期は、こっそりと人の喜ぶことをしよう、というのが約束事で、小びとの正体は実はみんなです。

 いったいドイツのどこなのか調べたものの、結局、詳細は分からないのですが(知っている方がいたら教えてください)、詳しく知りたいと思うほど魅力的に感じました。日本のクリスマスもこうであれば、商戦やらパーティーイベントだけではなく、本来の意味に少しは近づくのではないでしょうか。

 これと似た話があります。有名な心理学博士のところに「寂しくて不幸で仕方がない」とお金持ちのおばあさんがやってきます。博士は、おばあさんが唯一、庭仕事が好きだと聞き、「同じ教会に通う人の誕生日に、あなたが育てた花をカードをそえて置くように。だれにもみつかってはいけません」とアドバイスします。これを試すと、この町は天使が誕生日にスミレを届けてくれると評判になりました。しばらくして博士がおばあさんに「まだ不幸ですか」と尋ねると、おばあさんは自分が「不幸」と口にしたことをすっかり忘れていました。(鈴木秀子著『奇跡は自分で起こす』)

 この逸話は、最後、おばあさんが老人ホームに入る直前に多くの人から、お返しのプレゼントが届き、終わります。大切なのは、おばあさんがこっそり花を贈るだけで、心が満たされたことです。名乗らず、人のために行うと、えもいわれぬ心への贈り物、ほっこりとした気持ちがやってきます。中国にも「陰徳陽報」という言葉があります。人知れず良いことを行うと、心が変わる。それが良いことを呼ぶのでしょう。

 プレゼントは本来「尊敬、友情、愛情の表現としての贈り物」との意味です。いつもの贈り物に加え、小びとになって思いを贈ってみませんか。思ってもみない感情があなたの心に兆すかもしれません。    (髙垣)

(ニュース和歌山2016年12月24号掲載)