和歌山の妙 落語の中に

 和歌山の笑いの顔、桂枝曾丸さん(43)。今年で落語家となり四半世紀25年を迎える。落語に親しむ人が多くなかった故郷にUターンし、落語と和歌山の人の距離を縮めるべく高座に上がってきた。3月13日(火)には地元出身の落語家と「和歌山ゆかりの寄席」を開く。人気を呼んだ和歌山弁落語をへて再び古典落語に向かい始めた枝曾丸さんに節目を聞いた。 (文中敬称略)
スマイリスト
25周年を迎える噺家
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桂 枝曾丸さん
桂枝曾丸 1968年、和歌山市生まれ。19歳で故5代目桂文枝に弟子入り。13年前にUターンし、和歌山を拠点に活動する。「和歌山ゆかりの寄席」は3月13日(火)午後6時半、和歌山市民会館。地元出身の桂文福、福矢らが出演。木戸銭2500円。
おばちゃん落語誕生

──拠点は和歌山です。

枝曾丸 和歌山へ戻ったのは13年前です。和歌山は大阪に近いですが、当時は落語会も少なく、来てくれるのは一部の愛好家でした。和歌山を題材にした落語が少ないからです。和歌山と落語を近づけたい。その一心で続けて来ました。

──枝曾丸さんといえば和歌山弁落語です。

枝曾丸 実は藤白の落語会でとちったのがきっかけです。その時、“もじけた”と言ったら受けたんですよ。和歌山弁使えるかな…と思ったんです。しかし、当時はテレビなどで和歌山弁を話したら苦情が来る時代で、ためらいがありました。

──その後、大きく注目されました。

枝曾丸 漫画家のマエオカテツヤさんと話す中で、親世代の方言の面白さ、お客さんで多かった和歌山のおばちゃんの逸話を拾い、和歌山の妙を盛り込みました。格好もおばちゃんにし、お客さんも増えました。方言ブームも大きかったです。

洋七さんの激励

──東京や大阪でも和歌山弁落語を演じました。

枝曾丸 東京は前日まで売れたチケットが2枚。そこで和歌山へUターンしたころ偶然に知り合った島田洋七さんの後押しで満員になりました。和歌山へ戻り落ち込んでいた当時の僕を知る洋七さんは「和歌山へ戻らなかったら東京で落語することもなかったやろ。物は考えようや」と言ってくれ、号泣しました。ただ和歌山弁落語も外で受けないと芸として成立しません。今も大阪の天満天神繁昌亭で試行錯誤し続けています。最近、大阪から和歌山へ見に来てくれる人も出てきました。

──落語家生活で印象に残ることはありますか。

枝曾丸
 2002年にアルゼンチンで日系移民向けに行った落語会です。治安の悪い密林地帯まで海南出身の夫婦が和歌山弁を聞きたいと車を200キロも運転し来てくれ感動しました。開拓者の前向きなエネルギーに力をもらいました。遠くで故郷を思い、日本文化を守る姿は見習いたいです。

──最近、力を入れていることはありますか。

枝曾丸
 亡くなった文枝師匠のネタをやるなど古典落語に再び向き合い始めました。また、和歌山を題材にした創作人情話「熊楠」「紀伊国屋文左衛門」などは続けていきたいネタです。まだ人前では一度しか披露していないので、再び形にしたいと思っています。

ライバルは中華そば

──新しい挑戦は。

枝曾丸 落語は演じる場所が限られる弱点があります。それを乗り越えるためライブハウスで、短編小説のような短い話が続く落語をやりたいとずっと考えています。ライバルは中華そば。これからも県外から自分をめあてに来てもらえる落語家をめざします。

ニュース和歌山2012年1月11日号掲載