和歌山市有本の西中謙さん(73=写真)が、漆器の町、海南市黒江や黒江塗について8年間にわたり調査、研究した成果を『黒漆の文化』にまとめた。この中で、「黒江」の地名に関し、「黒い牛に似た石があった」ことに由来するとの通説に対し、「久漏牛方(くろうしがた)が変化したのでは」と考察、丹念な調査をまじえ、自説を展開している。
西中さんはふすま材の製造卸売りにたずさわり50年。昭和30年代までふすまのふちの塗装に漆が使われていたことから、漆に関心があり、8年前に調査を開始。全国の博物館、遺跡などを回り、黒江や漆の歴史について研究してきた。
まず、「黒江」の地名に注目。これまでは、この地に黒い牛の形をした石があったことから、「黒牛潟」と呼ばれ、これが「黒江」に変化したと言われてきた。しかし、3世紀ごろの日本の様子を伝える魏志倭人伝に「牛馬なし」とあるように、古代の日本に牛はおらず、「牛がいないのに“牛のような石”とは不思議」と西中さん。加えて「黒い石の鉱脈がない場所で、一部にだけ黒い石があるのはおかしい」と疑問と抱いた。
調査を進めた西中さんは、万葉集の2首に「黒牛潟」でなく、「久漏牛方」と表記されていることをつきとめ、この言葉を分析。“久漏”はずっと以前から液体を漉(こ)していたとの意味で、“牛”は「言葉のあいまいな和歌山人が“うるし”の“る”を抜いたのではないか」、“方”は場所を示し、「『長い間、漆を漉している場所』という意味では」と考えた。
著書では、黒江ですでに約1700年前から松煙煤入りの黒漆による漆塗りがされていたことも紹介。西中さんは「漆に関する本の中には、400年前に根来から伝わったと書いているものもありますが、特許権のない時代、産地が知恵を絞って技術の流出防止に努めてきたため、外に知られなかったのでしょう」と話す。
1200円。A5判、78ページ。問い合わせは西中さん(073・477・4888)。 |