権威や常識にとらわれず「南方学」とも言うべき独自の論を展開した紀州の南方熊楠(1867―1941)と、沖縄の民俗学の異才と呼ばれた末吉安恭(1886―1924)。書簡をとおした交流を元に2人の人物像に迫る『南方熊楠の宇宙〜末吉安恭との交流』を、和歌山市の作家、神坂次郎さんが出版した。
熊楠は和歌山市出身。文献に頼らず、自ら行う調査を基本に博物学、民俗学の分野で多大な功績を残した。1886年、19歳でアメリカにわたり、その後イギリスの大英博物館を拠点に粘菌に関する研究に没頭。1900年に帰国後は田辺市に居を構え、紀南で粘菌類の採取、調査を継続した。同時に、一般人の習俗を研究、独自の民俗学として書き残している。
安恭は沖縄生まれ。民俗学、歴史、絵画、短歌などに通じ、沖縄毎日新聞、琉球新報など地元新聞社で記者として働いていた。1914年に雑誌「太陽」に掲載された熊楠の「十二支に関する論考」に共鳴。熊楠とは手紙のやりとり、また、雑誌「日本及び日本人」への投稿という形で交流した。
権威に頼らず、自ら見聞きしたことを根拠に論を展開する熊楠に感じ入った安恭は、自ら「俺は(ワンネー)南島の小南方」と呼んだほど。
『南方熊楠の宇宙』は「南島の小熊楠」「三人の男たちの手紙」「熊楠からの手紙」「南方熊楠抄」の4部構成。「南島の〜」で、末吉の生涯を紹介。「三人の〜」には、2人がしばしば投稿した雑誌「日本及び日本人」の社員だった三田村玄龍(鳶魚)とかわした書簡を元に、「衆道(男色)」に関する論を掲載した。熊楠は、弘法大師が中国から持ち帰り広めたとされる衆道について、安恭は沖縄の衆道とそれにまつわる民俗、また、武道との関係を述べている。
「熊楠の〜」では、熊楠が門下の粘菌学者、上松蓊(しげる)にあて、「本草綱目」「浮世草子」といった書籍の購入依頼手紙を掲載。最後の「南方熊楠抄」で生涯を簡単に紹介している。
神坂さんは熊楠の学問について、「人間学」とひと言。「人間とはなにか、命とは、死とは、性の営みとは…といった人間への問いかけだった」と熱をこめる。
自ら熊楠の人間性にひかれ、「鼻血が出るほど彼自身にのぼせあげ惚れ込んだ」という神坂さん。熊楠を調べる中で安恭を知り、興味を持ち、沖縄でもほとんど知られることのなかった安恭に光を当てた。「安恭の人生はだれも書いていません。だが、これは書かねばならない本でした」と話す。
また、書簡を原文のまま掲載することにこだわった。「熊楠らがどういった気持ちで手紙をかわしていたか。それは彼等が使った言葉からにじみ出てくる。それを現代語訳してしまうと、彼らの心意気が伝わらない」と考えたからだ。
A5判、221ページ。2520円。問い合わせは四季社(03・5995・1221)。
(
写真
=出版した書籍と、熊楠直筆の手紙を持つ神坂さん)
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