楠山さんが10歳の空襲体験記―鼠を母校に寄贈
        
 60年前、10歳のときに見舞われた和歌山大空襲と翌年3月までの戦後の生活を、大阪府枚方市の楠山雅彦さん(70)が日英両文でまとめ『10歳の空襲体験記―鼠島(ねずみじま)』として牧歌舎から出版、9月12日に母校の雄湊小学校に10冊寄贈した。楠山さんは「アフガニスタンが爆撃される映像を見ると、昔と何も変わっていない。国際平和は、日本と外国の若い人がいま起きていることを共に考えることで一歩でも前進するとの思いから、英訳も掲載しました」と語っている。

       
「アフガンの爆撃 昔と同じ」
     
 楠山さんは現在の雄湊小の場所にあった湊南国民学校(戦後、雄国民学校と合併し雄湊小学校)5年生の時に空襲に見舞われた。自宅は築地橋に近い和歌山市西河岸町にあり、一夜にして焼失してしまった。
 本は、「まさか」「光る砂の波」「灰燼と雨と」「住居転々」「戦中のお遣い」「台風一過」「鼠島」「真新しい土」の8章構成。空襲当日に学校から帰宅するところに始まり、警戒警報が発令され避難場所の防空壕に身を潜めたこと、爆撃を避け内川のほとりまで逃げのびたこと。築地橋の上を逃げまどう人々、真っ黒な煙の中に炎の塊が上空に吸い込まれる様子。さらに、翌日の異様な臭気や、トタンに乗せられた焼けこげの死体。寝る場所を求めて転々としたこと、築地橋西側の鼠島にあった連合軍の駐留所で食糧を分けてもらったことなどを書き記した。
 タイトルの「鼠島」は、築地橋横にあった実際の鼠島と、家を焼かれた人たちが人間の尊厳をかなぐり捨てて食糧を求めて走り回る鼠と化すことから名付けた。
 楠山さんは17歳のころ、自分と家族の記憶を元に体験を残す準備を始め、26歳ごろから戦災前後2年間の記録として400字詰め原稿用紙1200枚程度にしたためた。だが、途中で挫折し、そのまま30年以上放っていた。
 もう一度原稿と向き合ったのは会社定年後。「30歳の自分と60歳の自分の対話」と考えて読み返したところ、父母の苦労、また、あのとき目にした様々なことが思い出され、胸に迫るものがあった。自分史講座を受け、最終的に九百字詰め原稿用紙80数枚にまとめあげた。
 「アフガニスタンやイラクの爆撃の映像を見ると、昔と一緒」と楠山さん。科学の発達は目を見張るものがあるが、「戦争という愚行廃絶への道筋が見えず、世界に私たちと同じ境遇に突き落とされる家族が後を絶たない」ことに胸を痛めた。「60年前に日本で起きたことと、いま世界で起きていることを同じテーブルの上で考えて欲しい」と外国の人にも読んでもらえるよう英訳付記を決意。「日本人同士が日本語で戦争の話をしているだけでは何の解決策にもならない。国際平和は、日本と外国の若い人がコミュニケーションをとって、21世紀にふさわしい新しい知恵を出すことで一歩でも前進する」との思いを込めた。
 本は終戦記念日に発行。早速、雄湊小に寄贈を申し出た。同小は3年生以上で英会話の授業を取り入れていることから、9月に10冊の寄贈を受けた。
 坂本記美子校長は「英会話学習と、6年生の歴史教育に活用させていただきます」と感謝の意を表すとともに、「普段から子どもたちが空き缶を集め、そのお金をユネスコを通じてアフガニスタンやベトナムの子どもたちに役立ててもらおうと活動しています。こういった本と一つになり、海外に目を向けることにつながって欲しい」と願う。
 なお、楠山さんはこの日、母校の伏虎中、桐蔭高にも同書を寄贈している。
 A5判、160ページ。1050円。問い合わせは楠山さん(072・846・7236、FAX兼)。

写真=本を寄贈した楠山さん(右)と坂本校長)