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| 紀州出身の船乗りで、2度にわたる暴風雨で八丈島やアメリカに漂流した伝吉に関する物語を和歌山市の作家、神坂次郎さん(写真)が小説『漂民ダンケッチの生涯』に著し、出版した。神坂さんは「伝吉の生涯は誰も書いておらず、史料も残っていない。だが、無名でも、私が惚れ込んだすごい男のことを書きたかった。それが紀州の人ならなおさら」と力を込めている。 |
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初代駐日英国総領事オールコックの通辞(通訳)として、安政6年(1859年)に英日条約批准書交換儀式に携わった伝吉(ダンケッチ)。船乗りとして生きる中、遭難、漂流を経て流れ着いた八丈島で流人文化に触れ、アメリカ船に救助されたときは船の中で英語を身に付ける。その後、上海、マカオでの生活を経て、オールコックの通辞として帰国するが、攘夷浪人の手にかかり非業の死を遂げた。
その伝吉の生涯を、故郷、有田での生誕から、江戸で殺害されるまでを書いた。そのきっかけは、和歌山市生まれの神坂さんが少年時代、有田に住んでいたことにさかのぼる。「有田川対岸の辻堂出身の伝吉について耳にしたことがあります」と明かす。
ただし、有名人なら史料はあるが、庶民の伝吉に関するもの、特に少年のころの史料はほとんどない。「寺に行っても何も残っておらず、先祖の墓すらありませんでした」
それでもわずかな手がかりを頼りに30年前、伝吉のことを簡単なエッセイにして新聞に発表したことがある。だが、生涯を書き記し、伝吉のことを十分に伝えられるまでには至らなかった。その後も、「無名でもすごい男がいたことを書き残したい」との気持ちを持ち続け、機会あるごとに調査を続けていた。
小説では、八丈島での情景描写が詳細に及ぶ。どこに行っても心のやすまる場が無かった伝吉が、唯一理想とした場所。かつては流人の島だったが、島内どこにいても良い自由刑だった。流人は武士や神官、百姓、町人と身分も職業も違い、罪状も様々だが、みんな同じ条件で暮らしている。伝吉はそんな中で醸成された独特の流人文化を肌で感じ、「高低(たかひく)なし」という身分による分け隔てのないことを身をもって理解していった。
綿密な調査を通し、伝吉の生涯を一つひとつ明らかにしていった神坂さん。「人間とはどう生きてきたのかが大切。ひたむきに生きた紀州出身の男のことを知って欲しい」と願っている。
四六判、309ページ。1995円。問い合わせは文藝春秋(03・3265・1211)。 |
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