石垣を見ながら歩くと色々な石の顔が見えてきます。符号が刻まれた刻印石。歯形に見える矢穴(やあな)痕。四角い穴が一列に並んだ矢穴などが石垣の中に隠れています。

 刻印は、○△□を基調に組み合わせたものが最も多く、羽や舵(かじ)のような絵模様から「表角(表のすみ)」や「角七たん(だん)」と積む位置を示した文字刻印まであります。

 天守二ノ門(楠門)に至る石段の最上段に近いあたりに「□法印」と文字が彫られた石を見ることができます。このような刻印が城内の石垣に約140種類、2300個以上あります。

 幕府の命令で建てた「天下普請(てんかぶしん)の城」の場合は、全国から集まった大名の、誰が担当して築いた石垣かがわかるように、石に印を入れたそうです。しかし、和歌山城の場合は、浅野氏という個人によって築かれた砂岩の石に多く印が刻まれています。浅野氏の家臣達が切り出した石に、家紋や馬(旗)印を彫ったのではないかという説がありますが、真意はまだわかっていません。

 数多い刻印の中に全国的にも珍しい「桃」と思われるものがあります。桃は魔除けとして屋根の上に置かれたりしますから、同様の意味で彫られたと思われます。こうした刻印を探すのは雨あがりで石がぬれている時、朝夕の陽が斜めに差している時が良く分かります。


 石垣の石は、石切丁場と呼ばれる岩場から切り出されます。その丁場では、岩に鉄楔(くさび)を使って、長さ約12㌢、幅約9㌢、深さ約3㌢の四角い複数の穴を一列につくります。これを矢穴と言います。矢穴の幅は、用具の進歩により小さくなっていきますが、矢穴に楔を打ち込んで割ることに変わりはありません。その際、岩の線に沿っているときれいに割れますが、そうでないと割れないので、四角い穴がそのまま残ります。

 つまり、歯形の石は成功例。四角い穴は失敗例、ということになります。

写真上=「法印」と刻まれた石垣、同下=矢穴がうかがえる石段

(ニュース和歌山/2017年7月15日更新)