西ノ丸の東南隅に「御橋(おはし)廊下」と呼ばれる建物があります。水堀を挟んだ東の二ノ丸との架け橋で、江戸時代後期に書かれた図面をもとに、2006(平成18)年に復元されたものです。

 類似する建物は、福井城(福井市)や豊後府内城(大分市)にも復元されています。しかし、いずれも「廊下橋」と呼ばれる屋根付きの「橋」ですが、和歌山城の場合は「橋廊下」と呼び、「廊下」を強調した呼び名になっています。長さ約27㍍、幅約3㍍と大きいうえに、二ノ丸と西ノ丸との高低差が3㍍40㌢あるそうですから、建物に傾斜が生じます。

 西ノ丸からは、二ノ丸方向に上って行くことになります。その床は、小刻みな階段(鋸歯=きょし)状になっていますので、少々歩きづらいですが、草履(ぞうり)を履いて歩く際に、滑らないように配慮した気配り構造なのです。藩主とお付きの者しか渡れなかった橋廊下だけに、気を使ったことでしょう。

 気遣いはまだあります。出入口の杉戸(板戸)です。使用しないときはもちろん閉じられていたのでしょうが、渡っている時も、背後の戸は用心のため閉じられたのではないでしょうか。内部も外から見えないように板壁で覆われ、窓には格子が入れられています。二ノ丸の大奥と結ぶ橋廊下は、単なる屋根付きの橋でなかったことがうかがえます。このような構造の建物は、和歌山城以外に見ることはできません。

 さらに、橋廊下は8本の橋脚で支えられています。復元に先立って実施された発掘調査で、橋脚の下部は、水面下に穴を掘って礎石を置き、その周りに木桶のように板で囲み、橋脚部と板の間を粘土や砂礫(されき)などで固めて、根元が腐らない強度対策の工夫が見つかりました。ここにも安全性の気配りを知ることができます。

 ライトアップされた御橋廊下の背後にそびえる天守の頭上に、満月に近い月が浮かぶ秋には、幻想的な和歌山城ならではの光景が楽しめます。

写真上=御橋廊下、同下=内部は意外に明るい

(ニュース和歌山/2017年12月16日更新)