海南市上神田地区自治会〜避難訓練に地域の伝承活用

 安政の大地震(1854年)の際、津波から避難する住民を汐見峠へ導き、大勢の命を救ったとされる海南市井田の呼び上げ地蔵。この伝承を活用した避難訓練が7月1日(日)、地蔵がある上神田地区で行われる。同自治会の大上敬史会長(59)は「実際に歩き、言い伝えを追体験することで防災意識を高める。伝承は当時の人々が目にした真実で、もっと生かされるべき。昔話で終わらせず、教訓として見直す機会にしたい」と意気込む。

 濱口梧陵が稲わらに火を付け、人々を救った安政の大地震。海南市にも津波が押し寄せ、冬の夕闇が迫る中、村人たちが目指したのは汐見峠に差す不思議な光だった。「こっちへ来い」。峠から響く声を頼りに、多くの村人が坂道を駆け上がると、そこには地蔵の姿があった──。

 呼び上げ地蔵は元々、熊野古道の道しるべにと1772年に建てられた。安政の大地震後、「津波から守ってくれたお地蔵様」として知られ、そこから「命を守るお地蔵様」へと信仰が広がり、病気やケガの治癒を願う人らが参るようになった。約50年前から周りの草刈りや覆い被さる木の枝を切るなど世話をする山部榮二さん(87)は「井田だけでなく、日方など沿岸部から訪れる人も多い。おそらく先祖がお地蔵様に助けられたのでしょう。菓子が供えられ、いつも新しい花が生けられています」と見守る。

 海南市作成のハザードマップによると、上神田地区は海抜7㍍。南海トラフの巨大地震が起きた際は地震から約50分後、津波が沿岸部に到達し、日方川をさかのぼって地区の一部に流れ込む。

 安政の大地震を記録した史料『末世之記録』には、地区の南西にある名高地区は、家の屋根まで津波に沈んだとある。大上さんは「8㍍級の津波でしたが、1707年の宝永地震は安政より大規模な14㍍だったと考えられる。しかし、安政のころになると、その恐ろしさが忘れ去られ、多くの犠牲が出た。歴史は繰り返されてきました」。

 昨年、自治会長に就任した大上さんは、この伝承に着目。例年、峠の登り口までしか避難しなかった訓練を、地元の歴史に根ざした内容にアレンジした。

 1日は、海南市全域で自治会ごとに訓練を実施。上神田地区では約30人が参加し、午前9時2分の大津波警報を知らせるサイレンを合図に、先発隊の10人が標高約20㍍の峠へ駆ける。到着後、言い伝えの通り、「こっちへ来い」と後から逃げてくる住民を呼び上げ、最後に山部さんから伝承や、昭和南海地震について話を聞く。

 山部さんは「言い伝えで皆の防災意識がまとまれば」と望み、昭和南海地震について「津波で名高まで船が上がってきて、祖父の兄弟2人が亡くなった。津波の恐ろしさを伝えます」と力を込める。同市危機管理課は「先人の残した文化や伝承に基づいた取り組みは、過去の事例を具体的に認識する機会になる。防災意識を高める取り組み例として、他地区の刺激になる」と期待する。

 大上さんは「汐見峠は古くから上皇や貴族が歩いてきた熊野古道。高貴な人が通る道なので、津波がかぶらないルートが選ばれたと考えられ、防災道路とも言える。先人の知恵を生かした取り組みを継続してゆく」と描いている。

写真=大上さん(左)と地蔵を守る山部さん(右)

(ニュース和歌山/2018年6月30日更新)