1100人以上の尊い命が奪われた和歌山大空襲から7月9日で73年を迎えます。和歌山市の山本真理子さん(91)はあの夏、広島で被ばくし、戦後は故郷の和歌山に戻って戦争経験談や民話を集め、児童文学として子どもたちに届けてきました。「#イマワカtalk」は、作品に込めた山本さんの思いに迫ります。

広島で被ばく

──多数の児童文学を送り出してきました。

 「3人の娘に『おはなし、おはなし』とせがまれて、ふるさとの昔話を集め始めたのがきっかけでした。雑賀崎や山東、楠見のお年寄りに私が昔話をせがむようになったんです(笑)。紀州の民話の多くは断片になっていましたが、その中にキラキラする美しいもの、突飛な空想、身震いする恐ろしさ、笑いがありました。採話は県域に広がり、それらをまとめて1971年に『みかん仙人』、83年に『紀州ばなし』を出版しました」

──〝戦争民話〟の作品も手がけます。

 「私自身、広島で被ばくし、その経験を基に73年に出したのが『広島の姉妹』です。父は陸軍の軍人で、私が和歌山高等女学校を卒業した44年春に家族で和歌山から広島へ越しました。あの日、突然強い光が目を刺し、家があっという間に崩れ、首から下がガレキに埋まってしまった。姉が救い出してくれましたが、町の景色はすっかり変わり、20万人もの人が黙って亡くなっていきました。歴史に残らない庶民の生きた跡も、書き残したいと思ったんです」

──『広島の姉妹』の主人公はご自身ですか。

 「そうです。ただ、出版した当時はまだ被ばく者への差別が残り、結婚適齢期を迎えた娘達の縁談に影響を与えてはいけないと思い、別にモデルになった人がいたと言いました。広島の作品は3部作で、爆心地の惨状と子を亡くした母親たちの悲しみを描いた『広島の母たち』(82年)、友達と助け合いながら生き抜いた『広島の友』(95年)と続きます」

作品に思い託す

──和歌山大空襲は。

 「戦後、和歌山へ戻ると、街がなくなっていました。母校や行きなじんだ店など思い出の場所が全て焼かれてしまいました。空襲経験者を取材し、書いたのが『はらぺこの歌』(80年)です。戦時中は、命を惜しまないことが美徳とされました。しかし、命を惜しむことができるようになった戦後、子どもの自殺が増えました。私たち大人が子どもに与えた環境には、子どもの生命力をなえさせるものがあるのではないかと思い、命と死を扱った作品を届けました」

──昨年は、沖縄戦が舞台の『沖縄の北斗七星』が完成しました。

 「広島の作品を読んだ沖縄の方が連絡をくれたんです。40年近く前に取材したのですが、なかなかまとめられなかった。歳を重ね、文字を書けなくなり、心残りに思っていたところ、地域で一緒に読み聞かせなどをしていた岩出市の榎眞由美さんが、覚えたてのパソコンで文章に起こしてくれました。2年かかりましたが昨年、沖縄戦が終結した6月23日の慰霊の日に間に合わせることができました」

──次世代への願いは。

 「原爆で、多くの友人を失いましたが、作品を通じてたくさんの新たな友情を得ました。戦争は悲しみしか生み出しません。二度と繰り返さないよう、図書館に保管されている私の作品を手にし、戦争民話を未来に生かしてもらえるとうれしいですね」

(ニュース和歌山/2018年7月7日更新)