荒廃するに任せていた頃の和歌山城です。一の橋の擬宝珠(ぎぼし)は取り除かれ、その背後の石垣の隅にあった二重櫓(月見櫓)が撤去されています。

 大手門の向こう側に巨大な建物のつま部分が見えているのは、明治十八(一八八五)年まで二の丸にあった御殿の主館です。桃山様式の豪壮な造りであったため、取り壊すのはおしいとして大阪城に移築され、陸軍第四師団が管理して、俗に紀州御殿といわれましたが、昭和二十二年、進駐軍の失火により焼失しました。

 (古書肆紀国堂=和歌山市ト半町38=店主の溝端佳則さんのコレクションを紹介します)

(ニュース和歌山/2018年12月8日更新)