江戸時代、旅の山伏が大川という村で宿を乞うた。屋敷の主人は乱暴者で、村人に嫌われていた。
 夜、茶を運んだ家の者が「あの方は熊野参りをするらしく、お金を持っています」と告げ口をした。ニヤリとした主人は、「朝、鶏が鳴いたら出立します」という山伏につけ込み、夜が明けていないのに、鶏の止まり木の竹に湯を通した。鶏は足の温みから朝だと勘違いをして鳴き始めた。

 これは寝過ごしたと山伏が出立すると、主人は息子をひき連れて後を追った。暗闇の滝まで来たとき、2人は薙刀で切りつけ殺害した。主人は、滝下の淵で血の付いた薙刀を洗った。以来、滝は山伏滝、淵は薙刀淵と呼ばれる。たたりを恐れたこの家の子孫は、鶏は飼わなくなったという。

(経路…中辺路町大川地区の国道311号沿い)

(ニュース和歌山/2019年3月2日更新)

大上敬史さん作製「和歌山県の滝」で、県内の滝が紹介されています。