貴志川線運営を南海電鉄から引き継いだ和歌山電鉄は4月1日、貴志駅で出発式を行い、関係者や住民は改めて存続の喜びをかみしめた。出発式で、小嶋光信社長は「心温まるローカル線にしたい」と話した。  (2006年4月8日号掲載)

声広めた〝つくる〟会

夜明け前に開かれた出発式

 南海電鉄が赤字を理由に貴志川線からの撤退を検討——。2003年11月の報道で地元には動揺が走った。伊太祁曽神社禰宜の奥重貴さん(43)は翌年夏、有志と貴志川線写真展を同神社で企画した。同線は1916年、山東軽便鉄道として日前宮、竈山、伊太祁曽の3神社を結んだのが始まりで、神社とゆかり深い。展示で他県のローカル線存続の事例も紹介し、「私鉄で駄目なのだから存続は無理との雰囲気があったが、『なんとかしよう』との気運は生めた」。
 存続を求める声を大きくしたのは「貴志川線の未来を〝つくる〟会」だ。
 2004年9月、貴志川線を取り上げたNHKの番組に出演した沿線住民が結成し、「啓発」「行政への働きかけ」「利用促進」を軸に動いた。支援に難色を示す行政に本気さを示すため、年会費千円で会員を募り、5000人まで伸ばした。しかし、南海は05年9月での事業廃止を届け済み。濵口晃夫会長(73)は「常に時間と競争。厳しかった」。
 04年末、向陽高校で開いた会主催のフォーラムは転機となった。熱心な呼びかけに来場者は800人を超え、日前宮駅は人であふれた(写真右)。
 中でも総合学習で貴志川線を調べた宮小学校3年4組の発表が注目された。児童たちは1000人からのアンケートをもとに「無くなると困る人が678人、一方で利用しない人、ほとんど利用しない人の合計は半数以上。困る人が多いのに利用する人が少ないのはなぜ?」と問いかけた。担任だった市川圭造さん(52)は「純粋に不思議だったようです。後に会から『みんなのお陰で存続できました』と手紙を頂き、みんなで喜びました」。濵口会長は「指摘に『これではいけない』と思った。今もこの矛盾は解消されていない」と語る。
 このほか、和歌山市民アクティブネットワークが廃線と存続の費用対効果を算出。廃線の方が住民負担が大きいと分析し、存続の論拠となった。

〝公〟支える理想形

 県、和歌山市、貴志川町は10年間で8・2億円を上限とする支援金の支出などを決め、05年に民間事業者を公募。岡山電気軌道に決まり、和歌山電鉄を名乗った。
 06年4月1日午前5時、貴志駅での出発式は多くの人でにぎわった。和歌山電鉄の麻生剛史総務企画部長(41)は「運転士育成から勤務体系作りまで出発日に間に合わせるのに必死でした。引き継いだ実感は8月にいちご電車が走り始めた時でしたね」。サポーターの寄付で完成したいちご電車は協力者の名を車内に示した。「おじいさんが『孫の名を電車に』と駅まで来てくれる。住民の思いを感じました」
 翌年、たま駅長誕生で話題を集め、13年度の乗客数は過去最高の223万8000人。赤字解消の課題は残るが、ローカル線再生のモデルと言われるまでになった。
 関係者が再生のポイントとするのは月1回の運営委員会。開業時に和歌山電鉄が設けた、住民、行政、関係団体の意見交換の場で、立場を超え課題を話し合う。「南海貴志川線応援勝手連」のホームページで一連の動きを追ったわかやまNPOセンター理事の志場久起さん(37)は「行政、企業、住民が協力し、公共的なものを守る理想形。全国的にも珍しい」と讃える。
 16年には貴志川線100周年、和歌山電鉄10周年を控える。一方、行政支援の期限もあと1年半に迫った。和歌山電鉄は、線路を公の管理とし、運行部門を電鉄が担う「上下分離方式」への移行を望む。麻生部長は「順調な今こそ、公設民営化で地域が活性化に夢を持てる」と強調。濵口会長は「沿線住民の高齢化が進む。住民はさらに関心を持ってほしい」と訴える。
 存続から永続へ。次の曲がり角が近づく。

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ニュース和歌山2014年10月25日号掲載