20150128siro

㉑新内村納良瀬

 上の絵は、新町の東側にあった新内(あろち)村(和歌山市新内)納良瀬(のらがせ)の約200年前の風景です。新内村は、城下町ではありませんが、すぐ西側が城下町にあたり、次第に町場化して城下に組み込まれました。一部には町奉行支配地がありました。

 納良瀬は、七瀬の祓いが行われた御祓所のひとつで、「せんしょうが池」ともいいましたが、次第に埋もれて江戸時代後期には小さな池となっていました。七瀬の祓いとは、紀伊国造(くにのみやつこ)であり日前宮を祭祀する紀氏が、日前宮領の7か所で行った神事のことです。納良瀬のほかには野乃辺戸(同市吉田)、簑島(黒田)、千寿河原(直川)、溝内(秋月)、直水谷(井辺)、芝原池(日前宮境内)の6か所がありました。

 七瀬の祓いは、紀氏が国造職に就任する時、上京して京都の桂川・淀川で祓いをした後、紀伊国伊都郡の丹生都比売神社(かつらぎ町)などの3か所と先の名草郡内の七か所で祭祀を行いました。それには日前国懸両宮の御榊・御鉾をはじめ神宝の渡御(とぎょ)があり、国造自らが奉祭するなど一代一度の大神事でした。

 その様子は、『紀伊国名所図会』の「千手川にて日前宮七瀬祓」から知ることができます。竹矢来で囲われた直川の菖蒲井の前では、国造・社家らが臨席するなか、神職が御幣を振り祝詞をあげて御祓が行われています。その絵には「餅ナゲ台」が画かれており、神事が終わると、災いを払うため餅投げが行われたようです。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)

画=西村中和、彩色=芝田浩子

◇      ◇

 『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載です。次回は2月11日号です。

(ニュース和歌山2015年1月28日号掲載)