㉔長覚寺

 長覚寺は、慶長8年(1603)に御小人町(おこびとまち)に建立された浄土真宗東本願寺派の寺院で、東本願寺御坊とも呼ばれました。御小人町は、御小人という藩主の出駕の際に長刀などを持つ同心が住んでいた武家町です。

 長覚寺は、紀州の東本願寺の中核をなす寺院でしたが、戦災で大きな被害を受けて、現存していません。

 名所図会の「長覚寺」の図版は、初版と改訂版とでは構図が異なっています。初版は、南側の唐門上空からみた長覚寺境内を1頁に収めています。「本堂」・唐門・「墓所」を中心としていますが、庫裏や鐘堂は本来の場所から移動させて画き込んでいるようです。

 上の絵は改訂版のもので、東側の山門上空からみた長覚寺の伽藍を2頁にわたって画いています。寺域の東側には堀がみえ、「山門」とその北側の「台所門」の前には橋が架かっています。

 境内には北東角に「太皷(たいこ)堂」、南東角付近に「鐘堂」があり、台所門を入った所には「クリ」(庫裏)が建っています。

 手前の南北の道は昌平河岸から続く繁華な通りで、その向かいは紀州藩の重臣で三千石を領した朝比奈惣左衛門の屋敷地です。千坪余りの屋敷地には建物が所狭しと建っています。敷地は明治5年から昭和13年まで和歌山県庁の一部になりました。

 背景には四国・淡路島が配され、長覚寺は鷺森御坊(西本願寺)に勝るとも劣らない、立派な伽藍配置をしています。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)

画=西村中和、彩色=芝田浩子

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 江戸期の地誌「紀伊国名所図会」に彩色し、解説する『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載。次回は3月11日号です。

(ニュース和歌山2015年3月11日号掲載)