㉖光明寺

 上の絵は、愛宕山東麓の塩屋村(現和歌山市塩屋)にある光明寺の約200年前の全景です。

 現在の塩屋は、和歌川の下流域に位置していますが、標高が1㍍以下のところもある低地です。その地名は、周辺の海浜でかつて塩を焼いていたことに由来します。

 光明寺は、元禄7年(1694)に円通禅師によって建立された、禅宗の黄檗(おうばく)宗寺院です。

 絵図をみると、お寺は塀で囲まれ、境内へは右下の漢門(惣門)から入ります。漢門は現存しませんが、門に光明寺と書かれた額(がく)がかかっていました。その右側にある「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と記された石柱が、お寺の入口に現存しています。門の右手には鎮守の「弁天」社がみえます。

 門を入った正面には、額に「天王殿」と書かれ、聖徳太子像を安置していた四天王堂がありました。その両側は塀と門で境内が区画され、四天王堂の両脇にある窟門(あなもん)をくぐると、広々とした境内に出ます。

 正面には黄檗山万福寺第四世獨湛(どくたん)筆の「寶壽山」(ほうじゅざん)の額を掲げた「本堂」があり、なかには本尊千手観音坐像が鎮座しています。本堂の右側には、手前から「開山堂」・「庫裡」・「浴湯屋」・「斎堂(禅悦堂:大食堂)」が軒を連ねています。これらは、日常便利なように廊下で繋がっていたようです。  本堂の左側には、鐘楼・「位牌堂」が建っています。本堂西側の丘の上には、「弥勒寺山」(秋葉山)を背景に「観音」堂がみえます。(和歌山市立博物館館長 額田雅裕)

彩色=芝田浩子、画=西村中和

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 江戸期の地誌「紀伊国名所図会」に彩色し、解説する『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載。次回は5月27日号です。

(ニュース和歌山2015年4月8日号掲載)