㉗地蔵辻

 上の絵は、城下町の北東、地蔵辻付近の約200年前の風景です。その地名は、交差点の北東角にお地蔵さんがあったことに由来します。

 そこは、本町御門を出て欠作町から東へまっすぐに進む大和街道と、北新町から中野島村を通って直川観音へ行く道が交差する交通の要衝にあたりました。絵図をみると、大和街道には駕籠(かご)に乗った人、飛脚や旅人たちが往来しています。辻には茶店が出ていて、女性が釜を炉にかけてお湯を沸かし、お茶を入れています。二人連れは、笠や荷物を縁台に置いて腰かけ、煙草やお茶を飲んで休憩しています。

 大和街道は、欠作から続く柳堤と、地蔵辻からさらに東へ延びる松原堤の上を通っており、松並木の街道は周辺より一段高くなっていました。柳堤にはかつて柳が植えられていましたが、絵図では土手に松が茂っています。今は早咲きの桜で有名です。

 お地蔵さんは、現在、祠内に安置されていますが、絵図をみると、江戸時代には雨風をしのぐ屋根がありませんでした。その脇の道は直川観音へ続く道で、八幡堤の上を通っています。

 現在は、交差点から200㍍南のJR高架橋の脇に新しい祠が建てられ、お地蔵さんがすえられています。その台座には、「右ハこかわみち 左ハ直川くわんおん道」と記されています。分岐点でない現在の場所では、その記述と道の状況とが一致しません。地蔵辻は、お地蔵さんがあってこそ地蔵辻です。諸事情はあると思いますが、混乱をさけるため、お地蔵さんは元あった場所へ戻してほしいものです。(和歌山市立博物館館長 額田雅裕)

彩色=芝田浩子、画=西村中和

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 江戸期の地誌「紀伊国名所図会」に彩色し、解説する『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載。次回は6月10日号です。

(ニュース和歌山2015年5月27日号掲載)