友ケ島で海軍施設確認
紀伊防備隊の聴音所跡
和歌山市の森崎順臣さん
機雷と結びケーブルも
第2次大戦中、和歌山市加太沖の友ヶ島に配置された海軍紀伊防備隊の「聴音所」が見つかった。聴音所はスクリュー音から潜水艦を察知し、撃沈するための施設。調査したのは和歌山城郭研究会に所属する森崎順臣さん(58、和歌山市手平)で、由良要塞に関する研修会で友ヶ島を訪れた際、砲台についての認識が父親の話と違うことに疑問を抱き、資料にあたるうち聴音所の存在を知った。現地で確認したうえ、「一般の友ヶ島地図には掲載されていない。砲台跡と共に、軍事施設の貴重な遺産」と話している。
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写真
=外部から見えにくいよう半地下式の聴音所跡)
森崎さんが確認したのは、コンクリートの建物に石を張り、屋根の上に土を盛って木を植えて外部からわかりにくくした聴音所跡。ほかに兵舎の基礎と見られるコンクリートや手掘りのトンネル。さらに、聴音所下方の岩場に、機雷とつないでいたと見られる切断されたケーブルもあった。
「聴音所は池ノ尻台場から第3砲台へ行く途中、「第3砲台まで〇・九キロ」の看板横の階段をのぼり、そこから5、600メートルの所にあります」と森崎さん。「聴音所を示す看板もありませんから、知られていないのでは」と見る。
友ヶ島は明治時代から、陸軍が管轄する由良要塞地帯として砲台と砲兵部隊が置かれており、加太の深山、淡路島の由良などとともに1899年以降は一般の立ち入りが禁止されていた。日清、日露戦争、第2次大戦と経るなかで改編を繰り返す。大戦の当初は由良要塞のうち深山兵舎が閉鎖同様になったこともあったが、1942年から重砲兵連隊が移ってきていた。
森崎さんの父親は44年ごろ深山の重砲兵連隊に所属しており、このころ「友ヶ島から既に砲台が撤去されている」との話を聞いていた。ただし、兵士といえども友ヶ島に渡ることは許されておらず、単なる聞き伝えだけだった。
戦後10年ほどたち、森崎さんが父親に連れられて深山の重砲連隊跡を訪れ、その話を聞いた。すっかり忘れていたが、今年4月に関西城郭研究会の研修で友ヶ島を訪れた際、配布された資料から「太平洋戦争時は砲台が戦闘配置についた」ことが通説になっていると知り、父親の話を思い出した。「砲台は撤去されていたのでは」と調査を開始した。
県立図書館で資料にあたったが、砲台がいつ撤去されたかは明らかにならなかった。しかし、和歌山市の井原勲さんがまとめた「紀伊防備隊・陣地図」の中に、「聴音所」「電池室」「兵舎」「隧道」などが記されているのを見つけた。
同隊は海軍呉鎮守府の管轄で41年に発足、紀伊水道を警備していた。また、『太平洋戦争と和歌山県』(川合功一著)から、同隊は41年末と、42年初めの2回、機雷を友ヶ島南西沖に敷設したことが分かった。聴音所はスクリュー音を感知したとき、ケーブルでつないだ機雷を遠隔操作で爆発させ、潜水艦を撃沈するのが役割。
だが現在、友ヶ島に残る軍事施設跡として知られているのは、第1から第5砲台跡や弾薬庫跡、見張り所跡など陸軍関係のものばかり。海軍関連の施設は友ヶ島の案内マップや野奈浦桟橋前の看板にも記されていない。
5月に友ヶ島へ渡った森崎さんは、陣地図通りの場所に聴音所跡などを確認、その結果を6月の和歌山城郭研究会の会合で報告した。
森崎さんは「当初、調査しようと思った内容とは異なりましたが、思いがけず紀伊防備隊の施設を見つけました。陸軍関連の砲台跡や兵舎跡などはいろいろ紹介されていますが、海軍関係は知られていないのでは。友ヶ島に目を向けるきっかけになってくれれば嬉しい」と話している。
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