宗祇の里と風力発電
吉備町 室町代表する連歌師
標高600m近くに風車
       

 有田市の東に接し、有田川をはさんで南北に広がる吉備町。温暖で雨の少ない気候はみかん作りに最適で、有田みかんの名産地だ。また、室町時代後期に全国を旅した漂白の詩人、宗祇の出生地として、最近は鷲ヶ峰の風力発電が注目をあびている。みかんで、文学で、また、エコタウンとして、それぞれ違った顔を見せる。

       
漂白の詩人宗祇の出身地
     
鷲ケ峯で回る風車 松尾芭蕉に影響を与えた連歌師、宗祇。芭蕉が紀三井寺を訪れたのは、宗祇の足跡をたどるためだったと言われる。しかし和歌山ですら、宗祇の認知度は低い。宗祇の手がかりを求め、まずは、町役場へ。川嶋弘企画室長と宗祇に詳しい栗山重雄さんを訪ねた。
 吉備町は10年ほど前から、宗祇談議や宗祇サミット、連歌大会など宗祇をメインに据えたイベントを継続してきた。これらに深くかかわってきたのが川嶋室長。宗祇没後500年の今年は、3月に3日間、「宗祇法師500年祭」を実施。関連イベントを総括した。
 だが、宗祇は自らの出身を吉備とは明かしていない。実は、生誕の地として、粉河町や滋賀の近江、徳島などの名前も上がっている。栗山さんも「本当のところは分かっていないのです」。
 ただ、宗祇の死後100年ほどたってから記された「宗祇傳記」は、「宗祇の初生地ハ紀伊之国有田郡の内藤波庄黍(きび)野と云在所の又大夫と申せし猿楽の実子也……」で書き出している。この記述を元に栗山さんは「他にはこういった文献が残っていません。また、当時、猿楽師は河原ものとさげすまれ、宗祇が17歳ごろ一族すべてが追い出されたようです。以後、吉備に戻った形跡はありませんし、吉備の歌も詠んでいない。苦い思い出があるだけに、出自について残さなかったのではないでしょうか」。
 室町時代の代表的文学者で、茶道、香道の確立にもかかわったとされる文化人と伝えられる宗祇。だが、こういった背景のためか、宗祇に関するものは町内に驚くほど少ない。古くからあるのは屋敷跡だけだ。

写真上=鷲ケ峯で回る風車、写真下=宗祇法師500年祭実行委員会の栗山重雄会長。栗山さんのふるさと自慢:宗祇の出身にはいろいろ説がありますが、文書で残るのは吉備だけ。連歌は絶えましたが、冠句は100年以上も続き、いまもいくつかグループがあります。最近は町民でつくる劇団いこらがミュージカルに力を入れ、冠句とともに新旧の代表文芸となっています。)

      
みかん畑に歌碑と生誕井
      
整備された宗祇屋敷跡 一通り説明を受け、宗祇公園を目指す。宗祇通り沿いの小さな公園に、歌碑と説明看板が立つ。
 「あらぬ名をかるや山彦ほととぎす」。歌碑には、長享2年(1448年)に宗祇が宗匠に任命されて初めての連歌会の作品が刻まれている。
 ここから宗祇屋敷跡はすぐ近く。直径3センチ程度になった濃い緑色のみかんの実に囲まれた中にある。1968年に県史跡に指定された宗祇の誕生井戸と記念碑に加え、今年の500年祭に合わせて歌碑や案内板、室町時代の地図板などが新たに設置された。
 さらに、南西方向には、宗祇の位牌をまつる禅長寺があるが、屋敷跡と禅長寺だけが、実際に宗祇ゆかりのもの。
 「ほかには何もないんです」。栗山さんの言葉が頭をよぎる。

写真=整備された宗祇屋敷跡)

      
有田鉄道越え田殿橋まで
       
 これらを回るだけなら役場から歩いてすぐだが、もう少し足を延ばそう。次は、田殿橋をめざし、有田川方面へ進むと、全長5・6キロという有田鉄道の線路を越えた。
 かつてはみかんや木材を運ぶため大活躍したこの鉄道も、近年は利用客が激減し、運行するのは平日と第1・3土曜。しかも午前中2往復するだけで、既に廃線の方針が固められている。レールバスと呼ばれるユニークな車両だが、これも見られなくなりそうだ。
 有田川まで来ると1992年に完成した田殿橋のたもとに宗祇を描いた黒石のレリーフがはめ込まれている。これを横目に橋の上を歩いてゆくと、川の中に入って鮎釣りをしている人が数人。梅雨の晴れ間の土曜の昼。のどかな風景が広がる。一方、山を見上げると、鷲ケ峰で白い風車が勢いよく回っている。
明恵上人卒塔婆 「この機会に、風車も見よう。ついでに、途中の明恵上人の遺跡も寄って……」と考え、吉備橋の西側を北に行く。だが、道はかなり狭い。途中の「明恵上人遺跡」の看板で右折すると、車がやっと通れる程度しかない。間もなく、行く手を軽トラックに阻まれた。「この辺りに明恵上人の遺跡はありますか?」と聞くと、「行ったことないから分からんなぁ。あっ、ここや」と教えてくれた。
 指し示す方へ降り、みかんの木の間をすり抜けながら、やっとのことで卒塔婆にたどり着く。
 説明板から、上人が元久元年(1204年)から1年半を過ごし、大仏頂法を修めたことが分かる。昭和6年(1931年)に文部省の史跡指定されたとあるが、帰り道が気になり、すぐ引き返してしまった。
 山道を戻り再び風車を目指すと、途中から急に道が広くなる。後で聞くと、田殿橋からまっすぐ北に登れば結構広い道が続いているそうだが、今回は完全に山道ばかり。かなり苦労した。
 それでも風車の下まで来ると、一気に展望が開ける。有田一帯はもちろん、雑賀崎から加太方面も。この日は霞がかかっていたが、晴れ渡れば明石海峡まで見えるとか。しかも、標高は586メートル。下は結構暑かったが、ひんやりした空気が肌に気持ちいい。
 風はかなりきつく、風車はビュンビュン回っている。そういえば、栗山さんが「町内の学校にはソーラーシステムが備わってます」と話していた。
 宗祇の足跡を追い歴史に浸った後は、風車に象徴されるエコタウンとしての側面に触れる。みかん以外の吉備町をしっかり満喫できた。(6月20、22日、小倉一毅)

写真=明恵上人卒塔婆)

     
インフォメーション
      
 〈アクセス〉海南湯浅自動車道を経由し和歌山市から約40分。
 〈周辺〉鷲ケ峰は秋になるとコスモスが咲き乱れる。一方、桜の名所として知られるのはきび千葉の森公園。地下600メートルから湧出する大谷温泉は明治19年(1886年)創業の老舗宿。町役場の隣にはコンクリート造のきびドームがたたずむ。
 〈問い合わせ〉吉備町役場(0737・52・2111)。