和歌祭は紀州初代藩主の徳川頼宣が父・家康の霊を慰めるため、前年建立された和歌浦東照宮の祭として始まった。東照宮から神輿をおろし片男波の御旅所まで歩く。帰りは摺鉦(すりがね)、太鼓、薙刀(なぎなた)振、百面、唐船、雑賀踊、餅搗踊、連尺、母衣(ほろ)などの芸を披露しながら戻ってきた。
かつては日本三大祭と言われ、和歌浦地区のみならず市内の各地区から連が出場したり、船で雑賀崎沖を回って和歌浦まで来たり。
戦後は和歌浦と和歌山城の間で開催されるようになり、商工祭に組み入れられてからは城周辺で実施されてきた。しかし、和歌浦で開かれなくなってから、芸能が廃れ始めた。これに危機感を抱いた地元有志が1984年に和歌祭保存会を立ち上げ、90年に和歌浦で大がかりな本祭を復活。しかし、以後10年間はやはり和歌山城周辺で開かれ、地元では神輿おろしと簡単な行列だけ。地元の人ですら、もはや「なじみのない祭」となっていたのが実情だ。さらに、保存会メンバーが高齢化。祭そのものが存続の危機に立たされた。
そこで実働部隊として99年秋に青年部が立ち上がる。2000年3月の東照宮会館竣工を機会に、10年ぶりに小規模ながら和歌浦で和歌祭を開催。昨年からは原則として地元開催の方針を打ち立てるとともに、芸の再現、継承を始めた。
和歌祭には古来、「株」と呼ばれる組織があり、企業ぐるみで人も資金も援助する仕組みだったが、いまや実質的に機能していない。それが芸能が途絶えがちの大きな要因となっている。このため、青年部が4委員会に分かれて担当芸能を決め、掘り起こしを始めた。
事務局の垣内良則さんは、「例えば、忠棒、請棒という芸では、忠棒の踊りが消えていました。請棒担当者がうっすら覚えていたのを頼りに再現し、昭和30年代のビデオで修正。かなり昔に近い形になったはず」と話す。
また、3年前の祭前には、かつて歌われていた『和歌祭』という歌の歌詞が見つかり、それを覚えていた地元の人が歌うのを採譜、数人がテープに吹き込んだ。北畑副会長は「消えてしまった唐船の歌のかわりに流しています」。垣内さんも「他にも廃れてしまった芸はありますし、残っていても、時代と共に形が変わってきた」とみる。「とにかく一度昔の形を再現し、それを踏まえたうえで、時代の流れに任せたい」
今年は、『和歌祭』の歌をコースの2、3カ所で流すほか、行列が通過するごとに芸を解説し、見ている人に親しんでもらおうと考えている。
北畑副会長は「残っている芸能が廃れないよう取り組んでいます。今年は800人規模の行列になります」と話している。
(写真上=勇壮な御輿おろし=松原時夫さん撮影、写真下=かつての盛大な和歌祭の様子)
和歌祭は5月18日(日)に東照宮発着で実施する。午前11時から神輿おろし。午後零時30分に行列が出発し、和歌浦漁港から片男波駐車場、あしべ橋、あしべ通りを経て4時半ごろ東照宮に戻る。
保存会は祭参加者を募っている。問い合わせは東照宮(073・444・0808)、HP(http://www.wakamatsuri.com/)でも受け付けている。
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