安心して暮らせる地域に
コミュニティFM局設立
      
         
時代に挑む、次代を拓く新世代 地域に密着したきめ細かい情報を提供する放送局をつくりたい――。2001年12月、湯浅町に開局したコミュニティFM放送局「エフエム マザーシップ」は広川町に住む1人の主婦、坂口緑さん(51)の熱い思いから始まった。きっかけは阪神大震災。被災地から住民が本当に必要とする情報を伝えるFM局の姿勢だ。開局までの道は平坦ではなかったが、ようやく人々の生活に根付きつつあるのを感じている。

    
地域情報の必要性 阪神大震災で痛感
    
坂口緑さん大震災。偶然つけたラジオが、一番被害の大きかった神戸・長田の街をレポートする地元のコミュニティFMの取り組みを放送していた。「父ここに眠る」「体育館に避難しています」――。FMのレポーターががれきとなった街をまわり、立てかけられている看板の伝言や連絡先などをひとつひとつ読み上げ、細かな情報を伝える姿勢に心を打たれた。
 「それまでコミュニティFMという言葉すら知らなかった」。このとき、生活に直結する情報を伝える地域密着型FM局の必要性を痛感した。
 だが、実際に動き出したのは3年後。きっかけはこれもまた、偶然目にした新聞記事。東京・銀座に開局したFM局の記事を読んで、「地域に密着した放送が地域の活性化につながる。銀座というひとつの街でさえ開局できるなら、有田でもできるかもしれない」。震災以来、胸にあったコミュニティFMへの思いが「あればいいな」から「自分でやろう」へと大きく動いた。 
 とはいえ、放送に関しては全くの素人。片っ端から資料を集め、他の放送局を視察。「ことば」の検定を受け、大阪のイベントプロデュース学校にも通った。開局に必要なノウハウを学んでゆく中で、夢を後押ししてくれる仲間にも出会った。「開局したい」から「開局できる」へと確信をつかむことができた。

写真=番組の構成からミキサー、DJまですべて1人でこなす。「少数精鋭です」と坂口さん)

    
「自分でつくろう」 開局夢に走る日々
    
 コミュニティFMは年に制度化された放送局で、開局には国の免許がいる。申請手続きのため、何度も大阪の近畿総合通信局に足を運ぶが、「数年前に長年務めていた会計事務所を辞めた、肩書きのない1人の主婦。何しに来たんかという感じでした」。企業や、行政が参加する第3セクターでの開局しか例がなかったため、繰り返されたのが、「資金はあるか」「どうやって運営していくのか」。また、他局のほとんどがその性格上、放送区域を市町村内の1区域に限っており、坂口さんが考える広川、湯浅、吉備の3町にまたがる広域放送は異例だった。
 担当者から経営安定のため第3セクターでの設立を勧められた。だが、3町をまわっても、財政難から首を縦に振るところはない。コミュニティFMを知らない人もいれば、「テレビがあるのにいまさらラジオなんて」という人もいた。しかし坂口さんには「震災の時、家が壊れ、ライフラインが途絶えた中で、電池ひとつで聞けるラジオがどれだけ人を勇気づけたか」という思いがあった。
 個人での設立を決意し、株主を募り、開局後の経営を成り立たせる証としてスポンサー協力の承諾書に200社のサインを集めに回った。「開局したいという思いはあっても形はない。なのにサインをしてくれた。それは大きな支えになった」。首を縦に振らなかった3町からも協力書を取り付けることができた。前を向き、ひたすら走り回る日々が続いた。
 構想から4年、2001年8月7日に予備免許、11月26日、念願の本免許がおりた。翌日試験電波を発射し、コールサインを読む坂口さんの声が流れた。
      
リスナーからの声 根付き始めている
     
 今では、地元に放送局ができたことを喜ぶリスナーの声が日々届く。乗車したタクシーの運転手が、初めて入った喫茶店の店員が、「聞いたことある声やなあ、ひょっとして(マザーシップの)局長さん?」と声をかけてくれる。地域に根付き始めている。当初はいぶかしむ人もいた「行政に頼らず」「女性で初めて」のFM局開設への熱意が、今は少しずつ周りに受け入れられるようになったと実感する。
 「有田郡は地方独特の閉鎖的なところがあって、“有田の谷”って言われているんです」。だが、ここでFM局をつくることにこだわった。「有田を精神的に豊かで安心して暮らせる地域にしたい」。その“谷”にマザーシップの発信する声がこだまする。

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 「エフエム マザーシップ」は88・9メガヘルツ。放送エリアは有田郡を中心に和歌山市から御坊市まで。