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| 選挙に感じた最初の疑問 |
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橋本さんは建築関係の会社勤務をへて、20歳代後半に和歌山へとUターンしてきた。最初に地方選挙の公開討論会にかかわったのは1995年の知事選挙。「投票するために候補者のことをよく知りたい」との自分の欲求が勝っていた。次いで尾崎吉弘市長を生んだ同年の和歌山市長選では討論会を主催した。
この時、ある候補者の選挙事務所へ討論会参加の依頼に行った。陣営の責任者は参加を断り、こう言った。「支持者の所へは行くが、票にならない所には行きません」
「票が集められればよくて、政策を訴えたくないのか。おかしい……」。最初に直面した“壁”。疑問は公開討論会継続につながる。
あえて「政治」を選んでいるわけではない。県の青年海外派遣で、ヨーロッパに行き、西欧と日本の青年の間に大きなギャップを感じたことが背景にある。フランスやドイツの青年は社会に発言する場を主体的に持ち、社会にかかわることで「豊かさ」を手にしている。日本にはみんなが同じでないとマズイという風土があり、発言も意図する所がぼやけがちだ。「これを変える」ことに思いがある。
(写真=仲間と綿密な打ち合わせをする橋本雅史さん=右)
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| 討論会の認知手応え感じる |
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旅田卓宗前市長が返り咲いた1999年の和歌山市長選挙では、候補者ではなく市民を集め「市長選言いたい放題」を主催した。今度は“壁”を支える市民の姿を目の当たりにする。「自分の家の前の道がどうとか、市全体を見渡した発言ではなく、エゴに偏った発言が目立った。ドブ板です。市民と議員が互いの利害をもとに両輪になっているのを感じた。市民も町全体を見渡した政策を持たねばならないと実感した」と言う。
この後、衆院選挙、知事選挙、参院選挙と次々と討論会を主催。テレビ放映もされるようになり、社会的な認知を得た。最近は「候補者も討論会を避けられないものとして受け取る姿勢が見られるようになった」と手応えを感じる。
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| 政治的混乱「希望はある」 |
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現在の統一地方選挙では「2003県議・市議を知る和歌山市ネットワーク」を結成。仲間と県議、市議に質問を送り、市内25カ所に回答の縦覧場所を設置、市民が候補者の考えに触れる場をつくった。しかし、候補者は必ずしも協力的ではない。
「固定票があるので結構です」。ある市議会議員候補はこう言って回答を拒否した。支持を訴えるのは市民全般ではなく、支持者のみ。最初に感じた「言葉のいらない選挙」の“壁”は市民生活に密着した選挙になるほど根は深く、依然として立ちはだかる。
「本当の意味でそういう人は議員ではない。特定の団体の代表であるだけです。エゴを捨て全体を見渡せる人が増えないと、政治的停滞、都市機能の低下はますます深まる」とみる。さらに若手の候補者でさえ旧来的な手法で選挙戦を展開するのも懸念する。
それでも政治的混乱に事欠かない和歌山を悲観しない。「現状はまだまだだが、10年前と状況は変わった。議員から公選法の改正を望む声、情報公開も進んでいる。これは希望です」。そして、「市民が変わらないといけない。早く気付いて欲しい」。あえて言う。 |
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