“心”でつながる街に
じゃんじゃん企画行動人 廣長盛雄さん
          
        
 名刺の肩書きは「JANJANst.21企画行動人」。和歌山市島崎町にあるレトロな4棟の建物に24時代に挑む・次代を拓く新世代軒分の店舗付き住宅を抱えるが、肩書きが示すとおり、壁のペンキ塗りに、路地の整備にと、街の再生に向け率先して動く。出店希望者には「一緒に街づくりをしてくれること」を条件に課すとともに、自らも体を使って進んで作業をする。「心の通った温かいアーティスティックな街」を目指す気持ちは、80年代半ば、「この街を何とかしたい」と考え始めたころと、何ら変わらない。

        
再生にはまず街の掃除から
      
丸みをおびた建物の前に立つ廣長盛雄さん じゃんじゃん横丁は、「大阪・新世界のじゃんじゃん横丁のように賑やかな街を和歌山にも」と廣長さんの父が1955年に建設した。建物のかどが丸みを帯びたモダンな造り。割烹やバーが並び、和歌山を代表する繁華街として多くの人が訪れた。しかし、年月を経るとともに歓楽街がアロチなどに移り、徐々に衰退していった。
 賑やかだった幼いころの記憶が鮮明な廣長さんは、80年代半ばから「何とかしたい」と考え始めた。だが、どうすれば良いか分からない。「10年間に100人ほどの意見を聞きました」
 しかし、時代はバブル前後、「古い建物は壊して新築を」との答えばかり。だが、大阪の人から「こんなオモロイとこないで」のひと言があり、自分の思いが認められた気がした。
 「ペンキもセメントも自分ですればいい。まずは掃除から」とアドバイスを受け、とにかく掃除を始めた。古い看板を取り外したり、コンクリートの路地を土に戻したり。自分にできることから取り組んだ。
     
「木」の看板で統一感を演出
       
 「自分の店の事だけを考えるのでなく、一緒に街を盛り上げてくれる」ことを条件に打ち出してから、初めての出店者は九九年春。その後、手作り感が漂う街の雰囲気を気に入ってくれた人に、一軒、また、一軒と広がっていく。
 街づくりへの参加といっても難しいことは言わない。年3回ほど開くじゃんじゃん祭には全面的に協力を要望するが、普段は「ゴミが落ちてたら、拾ってなぁ」といった感じだ。古くから営業している人も、いまは祭りのたびに協力してくれる。
 また、街として統一感を出すために、「店の看板に木を使う」ことを進めている。色や形が異なっていても、材質を「木」でそろえる。それが街並みの安心感につながるからだ。
     
近所の人にも祭りで楽しみ
       
 99年秋から年3回、じゃんじゃん祭りを開いている。「お客さんだけでなく、近所の人に一緒に楽しんでもらうことでお返ししたい」との気持ちからだ。さらに昨夏から、従来の祭りに加え、小規模な「月祭り」をスタートした。
 「大きなイベントでなくても、『じゃんじゃんでは毎月何かやっている』と広く知ってもらうとともに、発信することで『元気さ』をアピールできる」と考えるからだ。
 当初は、自分が提案したことを、新しく入った人たちが協力する形が目立ったが、昨年の春祭りのころから、若い人たちが自主的に、また、積極的にかかわる姿が目に付くようになった。「自分たちの街として、みんなで考え、みんなで取り組むスタイルが定着してきたようです」と目を細める。
    
発展途上だがホッとする街
    
 新しい展開から4年余り。出店者それぞれが街のことを考え、しっかり取り組んできたことで、街づくりは少しずつ軌道に乗ってきた。
 だが、「まだまだ発展途上」との気持ちはある。理想とするのは、「街が街として機能すること」。単に、店構えだけがオシャレというのでなく、「一軒一軒が個性的でありながら、温かい店の集合体として、来た人が嬉しくなるようなホッとできる空間がある。そんな心の部分でもつながりのあるような街……」。
 理想に掲げる街の実現を目指し、これからも挑戦は続く。

写真=丸みをおびた建物の前に立つ廣長盛雄さん)