
妹背山護持顕彰会は、江戸時代の海禅院の姿を復興し、歴史ある妹背山を未来に継いでいこうと、同院住職の松本惠昌会長らが呼びかけ、昨年6月に発足した。
海禅院は、初代紀州藩主徳川頼宣の母養珠院(お万の方)が徳川家康の33回忌に際し、法華経の題目「南無妙法蓮華経」を書写した経石を妹背山に納め、小堂を建てたのに始まる。養珠院の没後、母親を弔うため頼宣が多宝塔に改修し、拝殿、唐門を付設し、境内を整備した。
多宝塔は1967年、和歌山市の文化財に指定された。老朽化がひどかったため1994年から3年かけ修復が行われたが、拝殿や唐門は、明治以降、すでに取り壊された。
同会は、復元整備に向け発掘調査を計画。1年かけ準備を進め、今年5月に国から許可がおりた。10月10日から21日までの予定で、多宝塔前にあった拝殿、唐門、東門と、玉津島神社前から妹背山につながる三段橋近くの石碑をまつる経王堂の遺構を調査する。
こういった発掘は通常、文化財センターや博物館に依頼して行うケースが多いが、同会は市民ボランティアを募り、同会顧問で前県立博物館副館長の菅原正明さんの指導で行う。菅原さんは「建物の規模を確認し、景観を復元する基礎資料を得たい」と話している。
さらに、12月には多宝塔地下にある経石の調査を計画。「石室に海水がにじみ込み、経石が劣化し、読めなくなっている可能性がある」(菅原さん)との懸念からだ。
題目書写は養珠院の発願で、家康の追善とあわせて、あらゆる階級の人々の救済を願って行われたことが、多宝塔内の題目碑に記されている。後水尾天皇をはじめ、宮中や各地から約21万個の経石が集まったことが史料に残っており、菅原さんは「これだけ多数の経石があるのは全国でここだけ」という。また、天皇自らが参加したことは前代未聞で、その経石は別に作った石函に入れられ、石室深くに納められているとされる。
今回、すべての経石を取り出し、書写した人の動向や書写の実態、使われた石の産地などを調べるほか、納めたとされる後水尾天皇の経石が見つかれば、「将軍徳川家、紀州徳川家、天皇家のつながりを明らかにできる」(菅原さん)。
同会の松本会長は、「経石のひとつひとつに書いた人の魂がこもっている。これらの調査は、施設だけでなく、“心”を後世に残していく仕事です。妹背山が宗派を超えた人々の心のよりどころになってほしい」と語る。また、菅原さんは「風光明媚といわれた和歌浦に頼宣が東照宮と海禅院多宝塔を建てた。それは両親のためであったが、将軍家とのつながりを示すシンボル的な建物でもあった。それが歴史的景観として今に残っており、景観保存の必要性を認識する大きな機会になる」と話している。
発掘調査のボランティアは10人程度を募集する。期間は10月12日から約一週間。申し込みは、妹背山護持顕彰会へ電話(073・422・9480)またはFAX(同)で。氏名、住所、電話番号を明記。先着順。また、賛助金も募っている。
(写真=徳川頼宣が母を弔うために建立した多宝塔。かつて、手前に拝殿などがあった)