今年はさる年。桃太郎やさるかに合戦など数々の昔話に登場する猿は、長年、日本人に親しまれてきた。今回は私たちのふるさと、和歌山の郷土玩具「瓦猿」と、わかやま絵本の会の松下千恵さんの紹介で、美里町に伝わる「笈つぼの滝」を取り上げる。
お腹にやさしく桃を抱いた素朴な人形「瓦猿」。江戸時代に起源を持つ郷土玩具の一つだ。
JR和歌山駅にほど近い和歌山市田中町。この辺りはその昔、「瓦町」と呼ばれるほど瓦づくりが盛んだった。製造のメーンはもちろ
瓦猿に色づけする野上さん
ん屋根瓦。「でも、1年中仕事がある訳ではない。合間を利用して作っていたようです」。今も販売、管理を手がける野上泰司郎さんは話す。
野上さんによると、瓦猿には4つの意味がある。まず、“安産・子授けのお守り”。昔は妊娠すると、栗林八幡宮(同市有本)境内の日吉神社に奉納されている瓦猿を借り受け、無事出産を終えると1体を購入、2体にして神社に返す風習があった。抱える桃は子どもを表している。
また、「瓦猿=変わらざる」から安泰を願い、“商売繁盛のお守り”として求める人も。このほか、干支の置物、そして郷土玩具として親しまれてきた。
時代は移り変わり、瓦職人は減少。21世紀の今、瓦猿の伝統を受け継ぐのは野上さんただ1人となった。野上さんが社長を務める野上商店は、先代の恵三郎さんまで製造に直接携わっていたが、現在は淡路島の窯元に委託。ただ、最後の仕上げとなる顔と桃の部分への色づけは野上さんがその手で行う。
購入者は圧倒的に県外からの旅行客が多く、年輩の人が趣味で買っていくケースがほとんどだ。昨年初めには瓦猿を紹介するホームページ(http://www002.upp.so-net.ne.jp/kawarazaru/)を開設、全国から10件以上の問い合わせがあった。「100年以上続いてきたものですから、これからも守ってゆくつもりです」と野上さん。
問い合わせは野上さん(073・425・1988)。
「笈つぼと滝」…娘に恋したひひ猿
むかし、美里町の村にかわいい女の子が生まれました。お父さんとお母さんは、近くの川の名前をとって「桂」と名付けました。
桂がまだ小さいときにお母さんは重い病気にかかってしまいました。お母さんは桂に自分のかんざしを渡すと、「大切にするんだよ」。そういって息をひきとりました。
その後、桂はお父さんを大切にしてなかよく暮らしていました。ところが、今度はお父さんが病に倒れました。桂は懸命に看病します。そして毎日、隣村の谷のお堂にまつられている観音様にお参りし、近くの滝に打たれながら、お父さんが元気になるよう祈り続けました。
ある日、滝の近くにすんでいたひひ猿は、観音様にお参りする桂を見てひと目で好きになってしまいました。「いつか嫁にしたいものだ」
看病で疲れ果て、うとうとする桂の前に、観音様が出てきてこう言いました。「猿がもうすぐ来るから、来たら水瓶に入りなさい。そうすれば水瓶ごとおまえを連れて行くから、滝つぼのそばにいったら、かんざしを投げて、それを拾ってくれるよう猿に頼みなさい」
観音様のお告げの通り、ひひ猿が桂の家に押しかけてきました。桂は観音様のお告げを思い出し、水瓶の中に隠れました。すると、ひひ猿は水瓶ごと桂をさらっていきました。
滝つぼにさしかかると、桂は髪からかんざしを抜いてわざと落としました。「お母さんの大切な形見のかんざしを落としてしまいました。どうか拾ってください」
ひひ猿は桂を水瓶から出して、そこに下ろしました。桂にせかされたひひ猿は水瓶を背負ったまま滝つぼに飛び込みました。すると、水瓶の中にゴボゴボと水が入り、その重みで浮かび上がることができず、とうとうおぼれて死んでしまいました。
「観音様のお告げのおかげです」。急いで家に帰った桂はお父さんとともに、谷のお堂に向かって手を合わせました。それからというもの、お父さんはみるみる元気になり、2人はお礼に谷のお堂にナギを植えました。
ひひ猿が沈んだ滝つぼは「笈つぼ」と呼ばれ、ナギは今では、幹の周りが3メートルあまりある大きな木に育っています。
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