未来へ伝ふ〜KOYA KUMANO〜    
         
 「高野」「熊野」に魅せられた人たちを紹介する“未来へ伝ふ〜KOYA・KUMANO”。今回は熊野聖域の入り口、藤白神社の宮司を務める吉田昌生さんと、8年前から熊野の世界を追求し油絵で表現している小川昭造さんです。

       
熊野の真髄 歩いてこそ
藤白神社宮司 吉田昌生さん
        
吉田昌生さん 熊野九十九王子をめぐり、大阪天満橋から本宮まで踏破すること4回。現在、5度目に挑んでいる。「昔のように自分の足で一歩一歩、熊野に近づいてゆく。着いたときの感動は言葉が出ない。歩かないと熊野の真髄は分からない」
 熊野聖域への入り口とされる藤白神社(海南市)の宮司。一般の人が歩く際の手助けにと、南紀熊野体験博を1年後に控えた1998年に『熊野古道ガイドマップ 熊野への道』を出版した。5度目に挑戦中なのは、世界遺産に登録された今、古道の最新状況を盛り込んだガイドマップを再発行するためだ。
 歩いて実感するのが、“お接待”の精神がまだ和歌山に残っていること。ミカンを差し出してくれたり、寒い季節に温かい茶を出してくれたり。中学校のマラソン大会に出くわした際、生徒が息を切らせながら「こんにちは」と声をかけてくれたこともあった。「びっくりしましたが、疲れが吹っ飛びました。村人が協力して屋根をふき替える白川郷は、地域の“結(ゆい)”の精神が登録の拠り所になった。熊野の場合は“お接待”の精神なのでしょう」
 一方、県観光連盟の観光ガイド専門員「紀州語り部」を86年から務め、90年、語り部の会代表世話人に。現在、登録者は102人。ガイド需要増が予想される中、6月から始まった養成講座は予想を超える127人が受講している。「ガイドをめざす人には古道を全部歩いてほしい。世界遺産対象地域だけでなく、全体の案内ができる人を増やしたい」
 うれしいことに、目的意識が薄く、何をしても達成感がないように感じていた若者に、古道を歩く人が増え始めた。「『今日はあそこまで』と決め、たどり着いたときの満足感。自動販売機はないが、ゴールで水を口にし、乾きを癒す。その時、気持ちも癒されるんです」
 古道と書いて「ふる(触る)みち」。歩いてこそ分かる熊野に触れる人が増えてほしいと願う。
           
精神世界を油絵で追求
洋画家 小川昭造さん
        
小川昭造さん 熊野の精神世界を油絵に描く。「熊野は牟婁の国。『牟婁』は『無漏』ではないか。漏れるところ無し、すなわち神、仏の宿る世界です」。8年前から、歴史や伝説を勉強し、時に自説をたてながら、構図を考え、大胆な色づかいで表現し続けている。
 熊野古道大辺路の富田坂近くに住む。本格的に油絵を始めたのは二十歳ごろ。主に紀南でとれるアイやカレイをテーマに描いていた。「カレイの顔って、踏みつぶされたようにゆがんだ表情をしているんですよ」。ある時、奈良の東大寺南大門の香台を支える邪鬼に目がいった。いつも仁王像などに踏みつけられている邪鬼の表情がカレイの顔と結びついた。
 20年続けた魚から、邪鬼へとテーマが移った。そこから仏教の六道に興味を持ち、寺巡りを始める。神仏の世界を追求するようになり、行き着いたのがふるさと熊野だった。「カレイの顔から熊野へつながってきたんですよ」と笑う。
 観音浄土を目指して小舟に乗り、生きながらにして海上の彼方に消えた宗教儀式を描いた『補陀洛渡海図』、牛馬童子の伝説を表した『熊野なるもの』…。これまでに100点近くの“熊野”を描いた。勉強する中で、「これを絵にしたい」と感情がわき起こるものを描く。
 「絵とは本来、心の中を表現するもの。これまで、テクニックを磨いたり、描くことだけに夢中になっていた。今は自分が感動した絵を描きたい。熊野を描くことによって自分を見つめ直すことにつながった」
 熊野が世界遺産に登録され、「8年間の苦労が報われた」と喜ぶ。一区切りにしたいという思いもあるが、「熊野に取って代わる魅力のある題材が見つかっていない。奥が深くて抜け出せない」とほほえむ。
 画家としてのこだわりを見せる一方で、地元で町おこしと花作りのグループを結成。休耕田を活用したハス園や道路沿いの花壇整備などに取り組み、観光資源の掘り起こしに力を注ぐ。