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エアロベースの模型は、プラスチックでなく平らな真鍮性パーツを組むのが特徴。1996年の創業以来、年3、4点ペースで新作を発表してきた。見た目は複雑で、模型店では「難しい。マニア向け」と評されるが、作る楽しみを織り込みながら、子どもでも作れる仕掛けを施している。
5歳で初めてプラモデルを製作。小学2年生の時には既に、「将来は(模型メーカーの)タミヤで働く」と決めていた。「模型を作って楽しかった。その気持ちをみんなに広めたい」と思ったからだ。
専門学校で工業デザインを学び、86年に20歳で本当にタミヤに入社。配属されたのは、カタログやショーで模型を“見せる”ため、見本やジオラマを製作する部署。「模型を通し、何を伝えるか」。そんな思いで、取り組んだ。
仕事は楽しかったが、入社から8年後、趣味で作った模型をアメリカの大会に出品したとき、ハリウッドで『未知との遭遇』の宇宙船など本物の映画セットを見学させてもらい、精巧なジオラマに目を見張った。これを機に、「もっと自分の力を発揮できるはず」と活躍の場を映画業界に求めることを決心、翌95年8月にタミヤを退職した。
だが、アメリカの会社の都合で渡米が延期。また、この間に、コンピューターグラフィックスが台頭し、映画セットに占める模型のポジションが軽くなる風潮が見え始めたこともあり、映画への思いが急速に冷めてきた。
模型メーカーとしての第一歩は、「こんな状況下で始まったんです」と笑う。前から温めていた、エッチング技術を利用し真鍮で模型パーツを作るアイデアを形にした。1号機に選んだのはドイツ軍の3枚翼戦闘機フォッカー。ドイツの博物館で見た、骨組みに布を張っただけの機体が頭に残っていたのだ。
「1機だけ。それを数十個だけ売ろう。世界中に数十人ぐらいは、僕の思いを理解してくれる人がいるはず」。96年4月、エアロベースを立ち上げ、1号機を世に問うた。
模型飛行機ではマイナーな機種。だが、「羽が3枚あるのがいい」「プロペラがついているところの赤色がキレイでカワイイ」と反響は思いのほか良かった。
業務とするにはシリーズ化が必要と、半年後にリンドバーグのセントルイス、続いて、ライト兄弟のフライヤーと発表した。「飛行機に詳しくなくても、ライト兄弟のことは誰でも知ってます。2人はどんな人で、どうして空を飛ぼうと思ったのか。また、リンドバーグはなぜパリを目指したのか。模型を通し、そんな物語を伝えたい」
飛行機を出発点に、小型のシリーズや飛行船、グライダー、さらにエッフェル塔まで発表。いまはダ・ヴィンチのヘリコプターを開発中だ。
心がけているのは、既発品でも常に改良を頭に置く点。固定プロペラを回転式にしたり、接着剤を使わず組み立てられるようにしたり。「質を上げれば同じ製品でも新鮮さを保てる。自分がいま抱えている市場を、自分の新製品でつぶしにゆく。もっと面白い商品を出すことで、相乗効果が出る」
そうして出した飛行機のオシャレな仕上がりに、模型作りと無縁だった女性が「インテリアに」と買い求め、作る楽しさを知る。いまや模型店より、雑貨店や文具店、インテリアショップでの売り上げがはるかに多い。
一方、最近の設計者は模型作りの楽しさを伝える製品を開発していないと語る。「僕が製品に込めた意図は、作るうちに心にしみ入るはず。設計者として、お客さんの喜びや楽しさを第一に考えるという意味で、僕は世界一」ときっぱり。加えて、「提供する側が真剣に開発すれば、買う側も真剣。『作って楽しかった』と思ってもらえる。製品を通し、そんな時間を販売するのです」
開発者の思いはぶれない。
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