情熱の形
お客様“中心”に人づくり
build up business
       
中心屋 斎藤忠孝社長(41)
      
 「お客様中心の店でありたい」-------。和歌山市十二番丁に本店を置く「中心屋」はこの思いから名付けられている。味はもちろんのこと、接客など人の温もりと力を軸にするのが斎藤忠孝社長(41、写真右端)の経営方針。全国の居酒屋が集まる「居酒屋甲子園」で2年連続上位に名を連ね、6月には中国・大連市へ出店を果たした。「朝礼でスタッフと共に夢を分かちあうことが進める力になる。店づくりは人づくりです」と熱い。
        

 1978年、父の転職で大阪市から田辺市へ引っ越してきた。熊野高校へ通い、中学から続けたバレーボールを卒業まで続けた。卒業後は住宅販売の営業職に就いた。持ち前の明るさと積極性ですぐ成績トップになったが、客のためでなく会社のため働いている自分に気づき10カ月で退社した。「お客様に喜んでもらえる仕事をしたい」と強く思うようになった。
 退職後、親戚の紹介で和歌山市のめんどり亭新店社員募集説明会に参加した。そこで出会った創業者、故坂井基良会長に一目惚れした。「損得より善悪を考えろ」「店はお客様のためにある」。創業者の言葉には商売を超えた“人”として大切なことがあった。「この人についていきたい」と、就職を決めた。
 入社後、ホールスタッフとして接客する日々。「とにかく創業者に見られたい、認めてほしい」の一心でがむしゃらに働いた。1年後、新店の店長に立候補し大抜擢された。20歳だった。慣れない店長職だったが特に重視したのが客への気配りと雰囲気作り。「お店はお客様のもの。すべての判断基準はお客様」。創業者の言葉を胸に、掃除から笑顔の接客まで、くまなく熱意を込めた。
 店長になったころから抱いていた独立の夢。「年をとると共にチャンスが狭まる」と36歳で退職し、2002年に中心屋を立ち上げた。場所は和歌山市十二番丁。当時は人通りが少なく、街灯もない通りだった。「ここだ」と直感した。「場の空気や自分との相性がいい。人を好きになる感覚」で出店を決めた。メーン通りから少し離れ、一歩入った通りに中心屋の明かりが灯った。「自分の店をお客様が訪れると、他にも店ができるはず。そうすればその地域の発展につながる」と考えた。
 オープン以来、連日の大盛況。順調な滑り出しを支えたのは、味、盛りつけだけでない。値段以上の価値を、接客、つまりは人の力に置いた。和歌山で生き残るにはリピーターが欠かせない。店の玄関には行列ができ、予約を断ることもあった。評判は口コミで広がり、05年、JR和歌山駅東側に2号店をオープンさせた。
 勢いに乗り、今年(2007年)6月、和歌山市の建設会社と共同で中国の大連市に出店。同社社長との話の中で、「中国の営業所社員が、日本人の舌に合う料理がなくて困っている」と聞いたからだ。早速、現地調査し、150店近くある日本料理店の大半が、気配りや目配り、心配りなど“日本の良さ”を失っていることに驚いた。「日本の居酒屋の良さを伝える」と出店を決意。開店から1カ月が経ち、「三本指に入る」と評価されるほどの人気で、月に5回近く訪れるリピーターも多数できた。
 一方、国内では昨年から開かれている「居酒屋甲子園」に出場。昨年は250店中18位、今年はさらに多い739店から9位の評価を得た。指定された期間に覆面調査が入り、料理の提供時間や客が手を挙げる前の応対、灰皿交換のタイミングなど60項目で審査される。
 「経営には人やモノ、金、情報が大切だが、特に大切なのは人」。毎日開いている朝礼ではスタッフが大声で夢や感謝、出会いなどをテーマに思うことを発表し合い、社長と店員ががっちり握手を交わす。「夢を思い切り語り、握手でパワーを与えればその人の力になり、夢が現実味を持つ。明確に未来をイメージすることで夢はどんどん身近に感じられる」
 多くのスタッフは独立を目指し、「『中心屋』の名前で出店したい」と言い切る。「それぞれの夢を実現させ、のれん分けを進めて行きたい」とスタッフの成長を見守る。