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漁に出発する漁船、紀淡海峡を行き交うタンカーや豪華客船・・・。「とにかく船が大好きだった。小学校のころは船長になりたかったですね」。毎日のように海を眺め、地元で獲れた魚を食べて育った。
いなさは1951年に祖父母が開いた食堂が前身。父、純一さんが継いだ70年から加太産の活魚料理を提供する今の形となった。稲野さんも物心ついたころから、皿洗いや出前、買い出しを手伝った。
当たり前のように食べていた地元産魚介類のおいしさに気付いたのは高校卒業後。大阪の日本料理店で板前修業した時だった。「実家の店で出しているのと同じような魚が、大阪の百貨店だと2倍、3倍の値段で売られている。都会の値段に驚きました」
横浜の寿司屋など計3店で修業し、26歳で加太に戻った。店を手伝うにあたり、父、純一さんから「うちのコンセプトは何だと思うか」と聞かれた。「親父の答えは“鮮度を売る”。なるほどな、と思いました」。加太を訪れる客が求めているのは、地元で獲れた新鮮な食材。鮮度へのこだわりから、魚介類は市場でなく漁港で仕入れる。
04年、関空会社から依頼が寄せられた。「開港10周年を記念し、地元の魚介類を使った空弁(空港内で売る弁当)をつくってほしい」。頼まれると断れない性分。まず、小ぶりのタイを使ったちゃりこ寿司が頭に浮かんだが、空弁として販売するには値段が高い。「加太漁港で最も水揚げ量が多いのがタコ。タイ以外だとタコしかない」
とれたてのタコを加太淡嶋温泉の温泉水でじっくり煮込む。重曹泉の温泉水を使うことでふっくら仕上げたタコをいなり寿司の上にあしらう。こうして完成した「蛸いなり」は1日80箱が連日売り切れた。当初は期間限定販売の予定だったが、3年経った今も売られるほど根強い人気を誇る。その味に魅せられ、大阪や愛知、東京と遠方から店まで来る客も。「『おいしい魚を食べたい』と足を運んでくれる。料理人としてありがたい」と笑顔を見せる。
昨年は和歌山市主催の「新規土産品コンクール」に、「紀州加太トマトカレーBASIC」を出品。カゴメが設立した加太菜園産トマトを使った一品で審査員特別賞に輝いた。現在、販売ルートを模索中だ。
3年前からは加太観光協会青年部長を務め、加太の“広報担当”として、行政や出版社などと交渉する。活動は多岐に渡り、加太小学校の子どもたちと共同で地域内のウォーキングマップをつくったり、森林公園にアジサイを植樹したり。「旅館や各店それぞれが宣伝して、お客さんを呼べる時代ではない。今必要なのは“地域力”なんです」
全国の観光地が客誘致に力を入れ、地域間競争が激しさを増す今こそ、地域力が問われる。「蛸いなりやトマトカレーも大事。販売促進に各店の商品力は欠かせない。ただ、今はそれらを結集し、地域力にまでもっていかないと。加太は魚介類だけでなく、万葉集にも詠まれた歴史があり、景色も最高。おなかだけでなく、心も満たされるまちなんです」と言葉に力を込める。
加太で水揚げされる魚介類は、年間約80種類。板場に立てば、それら海の幸が持つ旬の味を堪能してもらうことだけに集中する。「他府県の人から『和歌山市のおいしいものは?』と聞かれた時、市内に住む人に『加太の魚です』と言っていただけ、さらに自分の店に足を運ぼうと思ってもらえる。そのために努力する毎日です」
幼いころから親しんできた味への自信と、地元への愛情。あふれる情熱を胸に、今日も包丁を握る。
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