歌と言葉の力 舞台で
西浦晴美・歌織親子の場合
     
 10月に海南市で上演されるロックミュージカル『有間皇子』。この舞台で、有間皇子と恋に落ちる「八釣姫」を演じるのが西浦歌織さん(24)だ。高校2年から本格的に声楽を始めた歌織さんは、大阪音楽大学声楽科の学生だった2005年、大阪市の梅田芸術劇場で上演された『レ・ミゼラブル』で、メーンキャストのコゼットを演じた。自らを「娘のいちばんの応援団」と称する母の晴美さん(54)もまた、声楽の分野で活躍している。生まれた時、「音楽に携わり『歌を織りなす』人になってもらえれば」との願いを込めた名前の通り、歌織さんは今、ミュージカルや芝居の世界で大きく羽ばたこうとしている。
 晴美さんは現洗足学園音楽大学で声楽を専攻。クラシックを学びながら、東京で芹洋子のライブに参加するなど活躍した。プロの誘いもあった。しかし、両親が大反対。プロの道をあきらめ、和歌山に戻った。
 帰郷後は音楽教室で講師を務めながら、オペラの会に加わり、リサイタルを開くなどしていた。また、目の不自由な人に新聞を朗読する活動にも参加。ラジオのディスクジョッキーもこなした。そして結婚。音楽に囲まれ、歌織さんは誕生した。
 名前に込められた歌を愛する思い。しかし当の歌織さんは「歌には全く興味がなかった」と子どものころを振り返る。そんな娘に心の底では「自分と同じ道に…」と望んでいたが、「勧めると嫌がるのがわかっていたので、口にしませんでした」。

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 歌織さんに転機が訪れたのは、高校1年の終わり。幼いころからピアノを習っていた歌織さんは、「人手が足りない」と合唱部の友人に頼まれ、伴奏を引き受けた。最初はしぶしぶだったが、合唱にも挑戦。取り組むうちにやりがいを見出し、「気づいたら副部長でした」と笑う。「ピアノはずっと続けていたのに、納得いってなかったんです。でも歌はしっくりきました」。才能はすぐに開花。高3の時、ニュース和歌山ほか主催の「和歌山音楽コンクール」声楽部門高校生の部で第1位を獲得した。そんな娘の姿を晴美さんは、表面上では冷静な素振りで見つめていたが、心の中では大きな喜びに満ちあふれていた。
 高校卒業後、大阪音大へ。声楽科で同じ志や夢を持つ友に出会った。「自分よりも“音楽バカ”ばかりでいろんな話ができるのがうれしかった」と声楽の深遠にふれ、腕を磨いた。
 在学中の03年、学生主催のコンサート形式ミュージカル『レ・ミゼラブル』に、コゼット役で出演。翌年7月に、梅田芸術劇場が募集した『レ・ミゼラブル イン コンサート』のコーラス隊に採用され、05年には東宝ミュージカルで、過去に斉藤由貴や安達祐実が演じたコゼット役を射止めた。別所哲也や岡田浩暉らプロの中で大変な緊張を強いられたが、「舞台に立っている時が何より楽しい」と感じた。
 今稽古に励む『有間皇子』はこれまで経験してきた舞台とは異なり、セリフが多いミュージカル。「セリフは間や言い方でいかようにもなるので、歌とは違う難しさがある。芝居の奥深さを学んでいます」。また新たな世界が目の前に広がった。

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 晴美さんは今年(2007年)6月、子宮がんの手術を受けた。幼いころに結核を、また歌織さんの出産前には流産を経験した。「大病を患い、与えられた命をただ生きるのではなく、人の役に立てればという気持ちが年々強くなっています」。学校や施設にコンサートや読み聞かせに赴いたり、福祉施設での音楽療法レクリエーションを行っている。現代の子どもや大人の現状を目の当たりにして感じることを、「政治家のようではなく、歌と朗読でソフトに伝えたい」。
 歌織さんは「舞台には“言葉”がある。見る人にストーリー以上の“何か”を届けられる役者になりたい」。自分の幅を広げるため、近く活動の拠点を東京に移す予定。
 歌織さんが遠くに行くのは寂しい。だが自分があきらめた道を目指す娘を、「やりたいことはやりなさい」と優しく、温かく見守る母。一方、「様々な活動や経験をしてきたからこそ多くの人に必要とされる母親を、尊敬します。私もいろんな人から求められる存在になれれば」。歌織さんは「いちばんの応援団」を心の支えに、新たな挑戦にのぞむ。