心ひとつに果たした昭和築城
和歌山城天守閣

和歌山城天守閣
 和歌山大空襲で焼失した和歌山城天守閣は1958年、大半を市民からの寄付により再建された。戦争の傷跡が残り、物不足の時代。瓦一枚一口の寄付で、市民が心をひとつにして故郷を思うよるべを取り戻した。戦後復興のシンボルとして受け止められた再建だったが、あれから50年。和歌山城は紀州徳川の歴史を今に伝える文化遺産、和歌山市を代表する観光地、市民の憩いの場と、いくつもの役割を担いながら、いつも私たちの郷土和歌山を見守る。地方の衰退や財政問題で厳しい和歌山市。再建時に思いをはせ天守閣を仰ぐと、「今こそ再び心をひとつにする時」と語りかけてくるようだ。
■再建50年 愛郷心担い今も
◇戦後復興のシンボル◇

 56年、和歌山市経済部に和歌山城再建事務局が設置された。市経済部次長として再建事務を担当した藤原健さん(85)は「文部省は最初、『空襲で焼けた状態が史跡だ』と再建に反対した」と振り返る。
 終戦から10年がたち、市民から城を懐かしむ声が高まっていた。「県外から和歌山へ帰ってくると、孝子のトンネルを抜け城が見えないのは寂しい」。まだまだ物不足、住宅難の和歌山市だったが、城を求める声は根強かった。 
 「当時の高垣善一市長は文部大臣に『文化財担当の技師は頑迷固陋(がんめいころう)だ』と抗議の手紙を送り説得に努めました」

完成間もない和歌山城天守閣。写真左は作家の有吉佐和子。代表作『紀ノ川』は、主人公が再建された和歌山城にのぼるシーンで終わる。

 城再建に時期尚早の批判もあった。高垣市長は「市民の浄財を中心とした再建」と方針を立てた。再建費用約1億2000万円のうち、和歌山市内から約3800万円、県内から671万円、県外から1142万円などと大半が寄付となった。松下幸之助、川口幸次郎商工会議所会頭ら財界人の支援も大きかった。後は起債や融資を受け、市からの支出は1300万円。「瓦一枚一口」の形で呼びかけた寄付の輪は地域の隅々まで広がった。
 藤原さんが思い出すのは市民の初登城。「寄付を頂いた方に招待状を送ったのですごい人だった。けが人が出ないか心配した」と語り、「再建は他の戦後復興を引っ張る目的があった。だから他都市に先駆け再建が果たせた。和歌山に核になるものができたとうれしかった」と懐かしむ。

◇忠実な再現◇

 城の設計は城郭建築の専門家、藤岡通夫東京工業大学教授が担当した。木造か、鉄筋コンクリートかの議論があったが、当時は木の入手が困難で経費も比べものにならず、鉄筋コンクリートでの再建が決まった。
 日本城郭史学会委員の水島大二さんは「戦後、再建された城は岡山城、福山城、小田原城などさまざまあるが、大半が窓を増やしたりし手を加えている。和歌山城は外観はほぼそのままで、そういう城は全国的に珍しい」と話す。
 当時の市文化財保護委員の松田茂樹さんが天守閣の絵図を持ち、設計図の所在を知っていた。戦前の写真も数多く資料は豊富だった。それゆえプレッシャーは大きかったという。「特に千鳥破風の部分は図面にできず藤岡さんが現地で指示して造ったと聞きます。また、城の高さに違和感が出ないように相当、神経を使ったらしい」と語る。
 再建工事の様子を映像で記録し、のちに作品「和歌山城再建記」を制作した武本弘さん(75)は城で少年のころから遊び、空襲で天守閣が火柱と化す瞬間も目にした。城への愛着は深い。「完成した城は漆喰や瓦が新しく城全体が輝いて見え、本当に美しかった。作業していた大工さんも感動していました。その美しさをカラー映像で残せた。もっと市民の表情も残したかったけど」と笑う。

◇再建半世紀◇

 城への登城者数は再建の年に29万人、翌年は32万人にのぼった。その後は20万〜30万人で、95年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』の放映で「吉宗ブーム」が起こり、38万人が城を訪れた。ここ数年は13万〜15万人と低迷している。
 市は2005年から、「城フェスタ」と名付け、城周辺でイベントを実施、支援をしている。今年は再建50周年記念に5月から11月にかけ集中的に催しを行う計画だ。
お城が絵になる、市民主体の「紀州よさこい祭り」
 2007年、50周年を市民のアイデアで盛り上げようと提案事業を募った。寄せられたものから選び、期間中に盛り込むよう検討している。市主催の記念行事については「市の厳しい財政事情もあり、規模や内容は検討している段階」(市観光課)と言う。
 わかやま産業振興財団の県観光産業プロジェクトマネージャーの近藤政幸さんは「再建50年は地域振興の絶好の機会になる」と期待。「家庭に眠る紀州徳川のお宝発見イベントや、街並、商店街、古くから伝わる風習を地域資源とし、住民が見直し参加交流型の企画を作れれば『屋根のない和歌山城まちなみ博覧会』ができるはず。お金をかけず地域資源をビジネスとし成功した例はあり、地域ブランド商品をうめる」とみる。

◇欠かせぬ“お城”◇

 和歌山城では2006年から竹とキャンドルを組み合わせた燈籠で夜の城内や城周辺を彩る「竹燈夜」が開かれ、また紫陽花や水仙、牡丹の植栽を行い、憩える空間として整備を進めている。
 これまで語り部として100回以上城を案内した松浦光次郎さんは「石垣の美しさや天守閣からの眺め、和歌山の風景に驚いてくれます。最近は季節の花が美しく、花の名所と言えるようになった」と新たな魅力を説く。
 むろん徳川御三家として栄えた歴史の香りも絶えない。昨年、再建50周年を前に和歌山城を見直そうとわかやま絵本の会が『知ろう歩こう和歌

1585 豊臣秀吉が根来寺と太田城を攻略。和歌山城を築城。秀長に与える。
1600 浅野幸長が和歌山城主となる。 
1619 徳川頼宣が和歌山城主となり、御三家紀州藩が成立する。
1846 和歌山城天守閣に雷が落ち、燃え落ちる。
1850 徳川慶福が天守閣再建
1873 和歌山城が廃城となる
1912 和歌山城を和歌山市に払い下げる
1935  天守閣などが国宝指定
1945  空襲で天守閣が焼け落ちる
1958 天守閣再建
1995 吉宗ブームで来城者数が38万人にのぼる
2007 御橋廊下が再建される
2008 天守閣再建50周年

山城』を出版した。代表の松下千恵さんは「城に関連することを調べ始めると、身近な所から自分たちが知らなかった意外な歴史に出合える。私自身もいくつか発見があった。城は和歌山の歴史にふれるきっかけを与えてくれる」と讃え、「ぜひ城内や周辺を歩いて欲しい」と訴える。
 04年夏に市民が中心になって始めた「紀州よさこい祭り」。和歌山市に他府県からも多くの人を呼ぶ、この祭にも“お城”は欠かせない。
 実行委員長の杉谷和昭さんは「砂の丸のステージは踊り子と城が一緒になり絵になるようにしている」と話す。「紀州よさこいは和歌山城を見上げながら踊るのが醍醐味のひとつ。特に和歌山で生まれ育った自分たちは城を見るとぐっと気合が入る」と和歌山城から力を得る。
 再建の気運を高めた趣意書『和歌山城再建について』には「市民にとって朝な夕なに仰ぐ郷土の象徴和歌山城こそ心の慰藉(いしゃ)であり、強い励ましであり、無限の愛郷心をわきたたせる力である」と記されている。戦後復興のシンボルとして再建を果たし半世紀たった和歌山城。故郷への思いをひとつにできる力は世代を超えていく。

■徳川が残した豊かな文化