2008 五輪YEAR

体操競技 
田中和仁・理恵・佑典選手

北京をつかめ

 2008年、幼いころから描いていた夢へ挑戦する3人の体操選手。和歌山北高校出身の長男、田中和仁選手(22、日本大学4年、写真右上)と長女、理恵選手(20、日本体育大学2年、真ん中)、そして北高3年の次男、佑典選手(18、同右下)が見つめるのは北京五輪。男女それぞれ6つしかない切符をめざし、技と心に磨きを掛ける。
 北京五輪へ向けた1次予選となる昨年(2006年)10月の全日本選手権。3人はそろって2次予選進出を決めた。が、内容は大きく異なっていた。

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 和仁選手は、特徴であるきめ細かい、ミスの少ない演技で、日本のエース冨田洋之選手に次ぐ2位に入った。しかも6種目合計で90・30。90点の大台を初めて突破した。
 その前年、06年の全日本選手権は、半年前に左手の指を骨折した影響もあり、22位に終わった。加えて弟の佑典選手が高校2年ながら9位に入り、史上最年少でナショナル強化選手に選ばれた。「その時はどこに行っても弟のことを言われましたが、特別気にはならなかった。6種目中3種目でミスをしたんですから当然です」
 今回の全日本選手権2位を受け、ナショナル強化選手に。「11月に北高で教育実習した時、柔道やフェンシングなど、世界で活躍した経験を持つ先生方から五輪のことは言われましたね」。周囲の期待もエネルギーに変える。今はそれだけ自信にあふれている。

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 まさかの予選33位。理恵選手自身、そして周囲も驚いた。44位までに与えられる2次予選出場権は手にしたが、4種目中3種目で失敗した。
 調子はすこぶる良く、周囲は「技が成功すればナショナルチーム入りも」と期待をふくらませていた。「重圧は感じてなかったんですが、試合で手を挙げ、一歩進んでから、あれっと…」
 大会前、父、章二さんに「試合がこわい」とメールを送っていた。調整は順調だが、大会をイメージすると失敗するシーンばかりが浮かぶ。心と体のバランスが崩れていた。
 「あれだけのミス、普通なら2次に進めない。演技直前の練習が良かったのが、審判に伝わっていたのかも」。視線は前へ、失敗を引きずった様子はない。「あのミスがあったからこの冬は頑張れる。新技を習得し、メンタル面を鍛え直します」。美しいと評価の高い体の線を生かした演技をさらに磨く。

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 佑典選手は大会の約1カ月前、右手首の舟状骨を骨折。完治しないままのぞんだものの、予選で26位に入り、2次予選進出を決めた。その後、手術し、ギブスが取れたのは12月中旬。その間も練習は続けてきた。「腹筋、背筋を中心に、あと吊り輪の力技に生かせるよう上半身の筋力を強くしました。肩や腕の回りはごつくなってきた」
 06年の全日本選手権は9位。「あの順位、また、ナショナル強化選手に選ばれるとは…。実はちょっとねらってたんですけど」と見せる笑顔は高校生らしい。昨年は8月の全日本ジュニア、9月の国際ジュニアで個人総合優勝を果たすなど、自ら掲げる“丁寧で美しい体操”で結果を出した。
 今春には順天堂大学へ進学する。アテネ五輪で団体金メダルを獲得した冨田選手や鹿島丈博選手を輩出した名門で、さらなるレベルアップを図る。

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 体操選手だった父母の影響で、3人が体操の世界に飛び込んだのはいずれも小学1年の時。小学校時代にはすでに五輪出場を思い描いていた。
 迎えた08年、理恵選手は「五輪に出たい思いは、4年前のアテネの時より大きい」。一方、佑典選手は「北京で五輪を経験し、4年後のロンドンで金メダルを」とさらに先を見据える。
 和仁選手は昨年末のプレ五輪で一足早く北京の地を踏んだ。「良い演技をすれば客席から拍手が贈られた。08年もここに立ちたい。そう思いました」
 北京へ向け、4月に2次予選、5月に最終予選が控える。和仁選手は「一種目ずつ自分の演技をするだけ。他人との勝ち負けより、自分との勝負。結果は後からついてくる。父には子どものころから、『試合を楽しめ』と言われてるんですよ」。
 重圧かかる五輪予選を楽しめたとき、夢への扉は開かれる------