夢舞台 北京へ
レスリング 湯元健一の挑戦(4)
    
五輪への思い 1人じゃない
    
 6月25日のレスリング全日本選抜選手権は波乱の幕開けとなった。北京五輪フリースタイル60キロ級で日本の出場枠をもぎ取ってきた湯元健一は、優勝すればすぐに五輪出場が決まった。万が一敗れてもプレーオフで勝てば良かった。そこにわずかな油断があった。湯元は初戦で敗れた。
 「五輪、五輪と考えすぎ、かたくなった。自分の中に『もし負けてもプレーオフがある』との甘えもあった」。負けたことで逆にすっきりした。「俺が五輪に行かないでどうするんだ」。気持ちを入れ変えた。
 プレーオフの1時間前、双子の弟、進一がマットの上で雄叫びを上げた。55キロ級決勝で勝利し、初優勝を飾った。「俺はやったぞ。次はお前、絶対に勝てよ」。言葉がかわされた訳ではない。しかし、客席の湯元には確かに伝わった。
 プレーオフはこの大会を制したライバル高塚紀行との対戦となった。直前の控え室、「決着を付けてこい」と父、鉄矢が肩をたたいた。「きれいなレスリングじゃなくていい。絶対に勝つ」。重圧に負けた数時間前の湯元はそこにはいなかった。
 第1ピリオドを先取し、勝負の第2ピリオド残り19秒。この試合を、そして北京行きを決めたのは、父にたたき込まれ、弟との練習で磨き上げた高速タックルだった。「タックルで勝ちたい、そう思っていた」。最高の笑顔がこぼれた。

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 数日後、壮行会に出席するため、湯元は和歌山に戻った。実家で過ごすわずかな時間、10年前の新聞記事を見ていた。「目標は2008年のオリンピックです」。ニュース和歌山の記事の中で中学1年だった自分がそう語っていた。
 「この記事で言ったことが現実になったんや」。父、鉄矢は目を細めた。「これだけ遠回りして勝ち取った北京、プレーオフで見せたあの表情で立ってほしい。それだけです」
 父だけではない。地元で友人や恩師と久々の時間を持った湯元は、周囲の大きな期待を再認識した。「実際に試合をするのは自分1人。でも、五輪への思いは1人じゃない」。そんな思いも、夢への道を踏破した今は自らの力に変えられる。「五輪に出る中で、僕が一番試練を与えられた。全てを出し切れば何かついてくる。表彰台の1番高いところにも行ける」---------
 夢舞台・北京のマットは、みんなの思いと共に上がる。  (文中敬称略)

写真=五輪出場を決め、進一(右)と握手。

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 連載は今回で終了。湯元選手が出場する60キロ級は8月19日(火)に行われる。