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世界に1つだけの理美容バサミ
ハサミの命である刃、そして指を入れるハンドルと、取りそろえているパーツは常時2000以上。これらのパーツを単に組み合わせるだけでなく、理容師、美容師の声を聞き、刃の厚さやハンドルの長さ、柄の太さなどを調整し、世界に一つだけのハサミを作る。ハヤシ・シザース(和歌山市手平)の林伸昭社長
(48)が16年前に始めた自社製造・自社販売は、製造者と問屋がはっきり分かれていた業界では画期的な取り組み。オーダーを受け製作したハサミは3000丁以上にのぼる。より長く使える商品を追求し、最近は高速ドリルに使われる超高度金属を素材に採り入れた。「硬い金属は加工が難しく、不良品が出やすい。でも、無理といわれることに挑戦したい。ものづくりが好きだからでしょうね」
顧客の声に耳を傾け
人の3倍の努力
気がつくと、病院のベッドの上だった。17歳の冬、友人4人と乗った自動車が電柱に突っ込んだ。2人は命を落とした。自らは一命を取り留めたものの、両足を複雑骨折し、内臓を強く圧迫。医者に「足には障害が残ります」と告げられた。中学卒業後、父が営む自転車屋を手伝っていたが、「自転車をこげない者に自転車屋はできない…」。
3年半に及ぶ入院生活の後、座ったままできる仕事を探す中、理美容バサミの製造を手がける父の知人の会社で働けることになった。先輩職人の技を見て貪欲に盗み、分からないことはうるさがられるほど親方に質問した。「人生でこれまで、本気になったことはなかった。拾った人生、人の3倍、頑張ってやる」。職人魂が芽生え始めた。
見つけたスタイル
30歳の時、事故の後遺症で働くのが困難となり、やむなく退職した。一度はハサミ作りから離れたが、その後、体調が戻り、2年後、「ハヤシ・シザース」を立ち上げた。
10年間磨き上げた技術はあった。しかし、営業経験も販売のためのネットワークもない。とりあえず、理髪店や美容院に飛び込みで営業を始めた。なかなか売れなかったが、研ぎの注文は取れた。一丁数万円するハサミを預かり、地道に信頼を築いていった。ある日、「お兄ちゃんが作ったハサミは売ってないの?」と尋ねられた。聞いてほしいと願っていた言葉だった。
持ち合わせていたのはハサミの完成品ではなく、刃、そして指を入れるハンドルと部品の状態だった。営業に時間を取られ、在庫を作る時間がなかったからだった。が、これが功を奏した。部品を手にし、ハサミはパーツの組み合わせでできることを丁寧に説明した。
理美容師は一人ひとり手の大きさ、指の太さが違う。さらにハサミの持ち方、カットの仕方も異なる。「この刃にこのハンドルをつけて」「もう少し刃の先を重く」「ハンドルの角度を少し変えて」。既成品に満足していなかった彼らの声を聞き、世界に一つしかないハサミを提供するスタイルを見つけた。
平日の昼間は営業に奔走し、夜は受注したハサミの研ぎ、そして日曜と理美容室が休みの月曜はハサミを製造。休む間を惜しんで働いた。その甲斐あって、関西、関東、中部、九州と顧客は年々広がった。
聖地・日本で評価を
社員9人を抱える今も、問屋を通さず、商品を提供するやり方は同じ。パーツの状態で在庫を持ち、理美容師のこだわりを聞き、一丁一丁に魂を込める。
美の本場のハサミ事情を知ろうと、ロンドンを定期的に訪れた時期もあった。しかし、「海外でハサミは使い捨てるものとの認識。ハサミは日本人の技術が一番高い。業界外でも10人に一人は“ハヤシ”の名を知っている。聖地・日本でそのぐらいの評価を得たい」。
交通事故を機に、職人の道に入って28年。「健常者として何不自由なく育ったが、バカな行動で障害が残った。仕事ができなくなったとき、働けることをどんなにありがたく感じるか。朝、出社して注文のFAXが届いている。こんなにうれしいことはない」
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仕事への熱意、大人の本気をレポートする「ジョブ魂」。毎週土曜号1面、2面にかけて掲載します。
※ニュース和歌山2009年6月20日号掲載
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