和歌浦の風景 〜カラーでよむ『紀伊国名所図会』〜
   
画=西村中和、彩色=わかやま絵本の会・芝田浩子
    
広々とした入江と輿洗岩(こしあらいいわ) 
               
 (7)玉津島神社

 上の絵は、和歌浦の玉津島神社付近の約200年前の風景です。同神社は、かつて小島だった玉津島の神で、住吉明神・柿本人麻呂と並んで和歌三神として尊崇を集めています。古代から中世の和歌浦は玉津島が中心だったと思われますが、室町時代から近世の初めまで玉津島神社には社殿がなかったようです。
 中央の「朧山・加羅山」(現=奠供山てんぐやま)山頂には「望海楼遺址」と記されています。儒学者仁井田好古は、文化10年(1813)にその碑を奠供山南麓に建てましたが、現在は山頂に移されています。
 左端の「大相院」は東照宮の内六か坊の一つでしたが、明治20年(1887)に東照宮境内にあった雲蓋院(うんがいいん)と名を改め現在に至っています。
 広々とした入江の右端には、丹生明神の浜降神事の際に神輿をみそいだという輿洗岩がみえます。市町前は、初代藩主頼宣の遺言により江戸時代後期まで開発が許可されませんでした。しかし、文政8年(1825)に藩は入江の塩田化を許可し、それ以降、急速に埋立てが進み、嘉永4年(1851)には輿洗岩を足場として不老橋が架けられました。   和歌山市教育委員会 額田雅裕

※ニュース和歌山2009年11月21日号記事