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| ◇紀の川筋の歴史と文化 | ||||
| 紀伊に万葉の華が花開いたのは、単に自然に恵まれ風光明媚な土地柄だっただけでなく、豊かな人文的土壌があったからではないでしょうか。 もちろん考古学が調査の対象としている縄文・弥生時代といった古い時代と万葉の時代がストレートに結びつくものではありませんが、こうした豊かな土壌は、太古以来先人が、連綿と耕しつづけてきた賜物と言えるでしょう。 こうした先人の営為の痕跡を遺跡といっていいのでしょうが、今回はこうした遺跡の話や、それにまつわる考古学の話をさせていただきます。 考古学というと、一般的にはひたすら土を掘るだけの細かな作業の連続といったイメージがありますが、最近の発掘調査では、現場で採取した土を分析し、当時の環境を復元したり、年輪年代法という木の年輪を利用して建物の年代を推定するなど、ずいぶん科学的な方法の導入が図られています。それと、昔とちがって調査そのものが大規模になってきています。 和歌山においても現在、京奈和自動車道が造られつつありますが、この建設に伴って平成18年から、かつらぎ町内において3年間で5万4000平方メートルに及ぶ大規模な発掘調査が実施されました。 この調査では多くの成果をあげることができましたが、特筆すべきものとしては、中飯降(なかいぶり)遺跡において縄文時代後期、約4000年前の大型建物を発見したことでしょう。一般的な竪穴住居ですと直径4メートルほどですが、この竪穴建物は直径16メートルもあります。面積比では16倍の大きさ。全国的に見ても最大級の部類に入るものですし、西日本ではこれまで確認されている中でまちがいなく最大のもので、これまでの縄文時代のイメージを大きく覆すものでした。 このほか紀の川流域では、万葉の時代にきらびやかな甍(いらか=瓦でふいた屋根のむね)を誇っていた紀伊の国分寺跡もありますし、遺跡の宝庫といっていい地域です。 おそらく万葉の時代に紀伊国が輝いたのは、こうした歴史的背景、先人の努力があったからこそのことでしょう。その意味でも私たちは、先人の努力の跡を大切にし、未来への活力として活かしていく必要があるでしょう。 (村田弘・県文化財センター埋蔵文化財課長) ………………………………… 和歌山大学とニュース和歌山は、毎月原則第一土曜に和歌山市西高松の和大生涯学習教育研究センターで土曜講座を共催しています。次回は12月5日(土)午後2時、テーマは「紀伊万葉をささえた道と文化と歴史と〜南海道、熊野古道」。講師は藤白神社宮司の吉田昌生さんです。 ※ニュース和歌山2009年11月28日号掲載 |
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