2010 寅 年男 女
様々な分野で輝く今年の年男年女たち。その横顔と新年を迎えての抱負を取材した。
子どもの心育む和の音色

 直径約120センチの大太鼓を力強く響かせる。黒潮躍虎太鼓保存会を引っ張り続けて33年、年々有名になり、今では和歌山県内外で年間30回以上の公演に加え、小学校や幼稚園に出向いて教室を開く。「和太鼓は、
今年で60歳

黒潮躍虎太鼓保存会組頭

宇治田良一さん

胎内にいるときに聞いた母親の心臓の音に似ていると言われ心地よい。日本人の心に響く音は青少年の健全育成にもつながる。体力の続く限り続けたい」
 会の立ち上げは、和歌山市民会館がオープンした1979年。ゲストに新潟の佐渡から和太鼓グループ「鬼太鼓座」を招き、迫力と熱気に包まれた演奏にとりつかれたのがきっかけだ。ちょうど、アロチの芸者が踊っていた「和歌山おどり」が高齢化のため失われつつあったため、演目の一つ「黒潮太鼓」を保存しようと結成した。
 週2回の練習を欠かさず、メンバーそれぞれが好きなメロディを出し合い、つなげてオリジナルの曲を作ってきた。雑賀孫市や紀伊国屋文左衛門を題材にした曲が多く、ふるさとのPRに貢献する。
 一方で、小学校や幼稚園で教室を開き、地域のイベントに参加するなど地道な活動を続け、知名度を上げてきた。教室では、太鼓の由来に始まり、ばちの握り方から教え、実際に演奏してもらう。「気持ちが曇っているときは気の抜けた音、機嫌が悪いときは雑にたたく。一度たたけばその子の気持ちがわかるんですよ」。子どもたちはたたき続け、音が合い始めると表情が明るくなり、帰るころになるとすっきりとした顔になっている。
 舞台は国内だけでなく海外へ。これまでニューヨークのカーネギーホールやオーストラリアのオペラハウスなどで演奏し、称賛の拍手を浴びた。「始めた当初に比べると腕は上達し、人に感動を与えられる自信もついてきました。大切なのは気持ちを込めてたたくこと。将来を担う若者にも躍虎太鼓を受け継いでもらいたい」。はっぴを着、ばちを手に太鼓に向かう姿は還暦を感じさせない。

もう一度、日本リーグ一部へ

今年で24歳

オークワ女子卓球部

深江優海さん

日本卓球リーグ2部のオークワ女子卓球部に所属し6年目。同部のモットー“ネバーギブアップ”“気迫”を胸に、日々、技に磨きをかける。
 長崎市の西、池島の小学校でラケットを握り始めたのは3年生の時。中学3年で全日本選手権ジュニアの部、高校3年でインターハイ出場と着実に力を付けた。高校卒業後は指導力に定評のある大塚和彦監督の下で強くなりたいとオークワの門をたたいた。
 最初は厳しい練習についていくのに精一杯だったものの、主将の山本真理選手が「心が強くて負けず嫌い。できないことがあると徹底して練習に打ち込む」と舌を巻く熱心さ。大塚監督の指導を受け、頭を使った試合運びを吸収していった。球の回転量はチームナンバーワン。回転を加えた力強く重い球で、相手のミスを誘う。
 試合ではこれまで取りこぼしが多かったが、「2009年は同じレベルの選手に負けない選手になれたと思う。今年は自分より上の相手に勝てる選手をめざします」。今、最も対戦したいのは日本選手権を5度制している平野早矢香選手。1歳上の平野選手をインターハイで見て、集中力の高さ、一球に対する執着心に驚かされた。「高校まではあこがれの選手でした。でも、今は同じ社会人。対戦できれば、一本でも多く取りたい」
 一方、ダブルスでは06年からチームのエース、山本選手とコンビを組む。「最初は『私でいいの?』と思いましたが、それ以上に組めることのうれしさでいっぱいでした」。コンビネーションを磨いて3年あまり。山本選手は「最近は主導権を彼女が握っている。粘り強くチャンスを待って、ここぞと言うときに決めてくれる頼もしい選手です」と後輩の成長に目を細める。
 オークワでの一番の思い出は、06年の後期日本リーグ2部で加盟チーム中1位となり、1部昇格を決めたこと。「個人でなく、みんなで積み上げ、みんなで勝ち取ったから、その分、うれしさが大きかった。今は2部ですが、今年はもう一度、1部昇格を果たしたい」
 期待を集める24歳のさらなる成長が、チームを一つ上の舞台へと導く。

ラジオ橋渡しに出会いを

 今年、開局2周年を迎えるエフエムワカヤマで、生放送の「いってらっしゃい!ハッピーモーニング」「ランチブレイク・ラジオと一緒」など4番組
今年で48歳

フリーアナウンサー

宇和千夏さん

のメーンパーソナリティーを務める。「ラジオを通じ、頑張っている人の姿や地元ミュージシャンの音楽を紹介し、和歌山の魅力をたくさん伝えたい」と話す声は明るさと元気に満ちあふれる。
 出身は三重。小学生のころから校内放送のマイクの前に座り、人前で話すのが大好きだった。「国語の授業でも『当てて!』という感じでした。ちょっと目立ちたがり屋でしたね」。高校時代は深夜のラジオ番組にのめり込み、中でも兵藤ゆきの痛快なトークに魅了され、ディスクジョッキーに憧れるようになった。
 アナウンサーをめざし、大学では放送部に入部。放送学校に通いながら腕を磨いたが、ラジオやテレビ局は狭き門だった。そんな中、面接試験を受けた和歌山放送から「フリーとして番組を持ってみないか」と誘われ、22歳で縁もゆかりもない和歌山へ。見知らぬ土地で一人きり、声を震わせながら音楽中心の30分番組に挑戦。番組は9年間担当した。その後、イベントの司会業に活躍の場を移したが、46歳でエフエムワカヤマからパーソナリティーの話が舞い込んだ。「またラジオの仕事ができる」と二つ返事で承諾した。
 「ラジオの仕事を始め、和歌山がもっと好きになった」。リスナーに身近で新鮮な情報を送ろうと、常にアンテナを張りめぐらせるよう意識が変化した。「面白いな」と感じた人をゲストに招く「トクチカ」や、ランチにおすすめの店を紹介する「ナ
ビチカ」など、日替わりのコーナーが人気を集める。「ナビチカのおかげか、1年でかなり太りましたね」と笑い、「ラジオを橋渡しに、リスナーに何かに出会ってもらいたいんです」。
 収録以外にも毎日のネタ収集や用語の勉強、加えて週末の司会業と、仕事と休みの境目はない。「司会業をメーンに10年以上続けてきたけれど、今また、小学校時代の原点に戻ったのかな、という気がします。学生時代に放送部で一緒に頑張った同級生に『今でも話す仕事ができているのは千夏だけだね』と言われる。求めてくれる人がいる限り続けていきたい」。今日もマイクに向かい、第2の故郷に“元気”を発信する。

アスリートのレベルアップに

今年で36歳

げんき開発研究所

後藤健太さん

 和歌山県民の元気力アップを図る新施設、県立医大みらい医療推進センター(和歌山市本町、フォルテワジマ内)の「げんき開発研究所」。同所の研究副主任としてエクササイズに訪れる中高年やアスリートにトレーニングを提案し、一方で障害スポーツ体育の研究に熱を込める。「仕事を通じ、さらに自分を磨きたい」と意欲的だ。
 大学卒業後、東京と長野の障害者スポーツセンターで働いた。その中で「スポーツを通じ障害者の力になりたい」との気持ちが高まり25歳の時、単身アメリカへ。インディアナ大学の語学学校に飛び込んだ。
 言葉のハンディはきつかったが、10年続けたサッカーが言葉の壁を破った。「サッカーやってて良かったと思いましたね」。大学院合格後は障害スポーツ体育を専攻。発達障害や重度重複障害のある人への効果的な運動指導を研究した。「障害者の普段の運動量を記録して数値化し、何が効果的なのかを見極める。研究は小さな部分の積み重ねだと実感しました」。博士課程修了まで6年半をアメリカで過ごした。
 げんき開発研究所は3次元解析プログラムなどアスリートを高度なパフォーマンスに導く最新の機材を備える。主な仕事は、中高年、競技者のトレーニング指導だ。「持続力、柔軟性、筋力は年齢に関係なくやれば伸びます。中高年はここへ来て継続的に身体を動かすこと自体が健康増進につながる」。若い競技者の育成については「基本は体の重さを使ったトレーニングをすること。発達と競技の性質にあった内容が必要です」。
 福島出身で和歌山はもちろん関西は初めて。ある人の自虐的な冗談に他の人が輪をかけてひどい冗談をかぶせるノリに「衝撃でしたが、最近自分もできるようになりました」と笑う。昨年末には持ち前の英語力を生かし、小学生に身体を動かしながら英語を覚えてもらうキッズ・エクササイズも始めた。
 最近は開館時間を午後9時までと延長し訪れる人が増えた。「もっと和歌山の人にここを知ってもらい、自分自身も和歌山を知りたい。それと早く結婚もしたいですね」。照れくさそうに笑った。

※ニュース和歌山2010年1月1日号掲載