時代を生き抜く 寅長寿企業 老舗魂
 和歌山県は、創業から100年を超える企業を“百年企業”とし、2007年度から表彰しています。製造や小売りと業種はさまざまで現在認定は74社。長らく会社を守ってきた知恵と心意気で、この厳しい現在の経済状況を生き抜いています。今回はそんな企業の中から「寅年」創業の3社にスポットをあて、長寿の秘訣をききました。なお、本紙1月9日号から連載「老舗魂」をスタート。長寿企業の“命”と“魂”をリポートします。
【和歌山県表彰100年企業データ】

・平均年数・・・・・155年(最高548年)
・平均継承代数・・・6代(最高29代)
・平均従業員数・・・40.5人(最高270人)

 業種トップは食品関係の28で、内訳は海産物加工が6、和菓子・茶、酒製造がそれぞれ5、ほか梅干しや味噌、しょうゆなど。
 他業種では日用品等販売(21)、旅館(10)、建設・鉄鋼関係(9)と続きます。日用品では蚊取り線香や履き物、生花とさまざまなジャンルが並びます。旅館が10社と多いのも、観光地和歌山の特徴です。
(最高年数以外は2007、2009年度表彰時のデータ)

先代たちの働く姿が原点
1830年創業
金谷伊兵衛商店
(湯浅町)
 金物鋼材販売一筋の「金谷伊兵衛商店」の創業は今からさかのぼること180年前の江戸天保元年(1830)。鍛冶屋と縁があった金谷弥兵衛が商都湯浅町で商いを始めた。当主は代々金谷伊兵衛を名乗り、現在の伊兵衛社長(71)で7代目。地元では「カナイ」の名を知らない人はいない。「勤勉、真面目、華美にしないという仕事への取り組みを先代の姿を通じ学んできた。原点です」と商いの美学を今に引き継ぐ。
 創業当初、鉄はそう手に入らず、鋼の棒を仕入れ、鍛冶の技術を生かし鍬や唐鋤などの農具を作り上げた。湯浅から出る商船で全国各地で売ったが、特に徳島や淡路島で多く用いられ、伊兵衛社長は「今でも淡路島の人には金谷伊兵衛の名前を知っている人もいる」という。
大量の風呂釜が見える(昭和3年)
 明治、大正、昭和と時代が進むにつれ、扱う商品の範囲は大幅に広がり、金物全般となった。昭和14年(1939)の記録には、鍋、手洗い、湯たんぽ、竈と言ったものから、ペン、コンパスの文具、建設に用いる鉄資材まで商品として記されており、これらを卸し販売した。昭和3年(1928)に撮影の写真には、大量の風呂釜の前で荷出しする店員の姿が写されている。風呂釜は今は見られなくなった鉄製で、当時の活況ぶりを伝えている。
 「生活がどんどん変わったので、商売には波があったと思います」と伊兵衛社長。また妻の有規子さん(69)は「先代もその先代も、ここの人は本当に働きものでした。お客さんを大切にする、華美にしない、よく働く、真面目にすることは働く姿で次の代に伝えていました」。また、伊兵衛社長は「それと先祖を大切にする。父が亡くなり、名前を継ぐときには仏壇に手を合わせ、感謝しながら名前を受け継ぎました」と話す。
 事業は、現在は鉄筋、建築用具の鉄製品がメーンで、長男と社長の弟が中心となって会社を切り盛りしている。従業員は十数人で、国道沿いに社を構える。長年の伝統を担う本社は、湯浅の町並に軒を並べ、金物はじめさまざまな物を売る町の「金物屋さん」。近所の人が立ち寄り、会話を交わす昔ながらの商店だ。
 伊兵衛社長は「今も不景気で、決して楽ではないが、先代らの働く姿が立ち戻る原点です。それと感謝する心が大切。私も妻をはじめ自分を支えてくれた多くの人へ感謝を忘れたことはありません」。15回目を迎えた寅年も感謝の念で迎えている。
“本物”のおもてなしを
1650年創業
冨士屋(田辺市)
 約800年前、仙人が夢枕に現れ、川烏(かわがらす)に導かれて河原を掘ったところ、温泉が湧き出たと言われる川湯温泉。湯の峰、渡瀬温泉に並ぶ本宮温泉郷の一つで、川湯温泉の中で最も歴史ある旅館「冨士屋」は創業360年を迎える。紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産登録される前から熊野を訪れる旅人の疲れを癒し続け、女将の小淵祥子さんは「湯治場として昔から親しまれてきました。熊野参拝で心を、温泉で身を癒してもらいたい」と話す。
 仙人と川烏に導かれて川湯温泉を開いたのは、小淵家の先祖、小淵総縫之助。温泉が発見されて以降、温泉周辺に人が住み始め、熊野三山を詣でる人々が訪れるようになった。旅館を始めたのは江戸時代の慶安3年(1650)、小淵藤右衛門が旅人に寝る場所を提供し始めたのが起源だ。その名にちなみ「藤屋」として開業。地元では「とうや」と呼ばれ、当時の文献『西国三十三所名所図会』には「河湯温泉」として登場し、川の畔に建物が描かれている。
昭和初期の冨士屋
 明治時代、「富士山のような立派な旅館に」との願いから「富士屋」に改めたものの、「同じ字はおそれ多い」と「冨」にした。川湯が湧き出る大塔川は何度も洪水を引き起こし、旅館はその度に浸水や流失を経験した。それでもこの地に再建するのは「先祖から受け継がれてきた土地」だから。「夏は川遊び、冬は温泉と、川はこの地域の命です」
 宿泊室は全て川沿いに設けている。川の様子が一望できるため、暑さを避けたい子ども連れの親から「安心して子どもに川遊びがさせられる」と好評だ。また、「昔親に連れてきてもらった」というリピーターも多く、「川を掘ってマイ露天風呂を作る人もいるんですよ。少しぬるいと感じたら足下を掘れば熱い温泉が出てきます」。
 もてなしは“本物”にこだわる。近隣の住民が持ってきてくれた季節の花や木が館内を彩り、客室は熊野杉や檜、竹をふんだんに使用し、熊野の自然を体感してもらう。料理には熊野しめじや熊野牛など地元食材を提供する。
 「地元に支えられてここまでやってこれた。温泉はみんなのものなので、無理な開発をせずに自然のままを守っていきたい」。天然の温泉に手が加わっていない大自然、本物にこだわった“おもてなし”が、旅人に「また来たい」との気持ちを起こさせる。
オリーブの恵み未来に
1842年創業
シマムラ(和歌山市)
 オリーブを原料とした化粧品・食用品製造メーカーのシマムラは創業168周年。商いの原点となる初代島村冨次郎が発明した髪油「紀州びん附け」は今も残るロングセラーだ。大正初期に「人々に使いやすいものを」とオリーブに着目し、香川県小豆島に民間では日本初のオリーブ園を開拓。現在は直売所を置き、年間約100万人の観光客をターゲットに商品を展開、リピーターを生み出す。7代目の島村不二夫社長(59)は「単なる一企業としてではなく、日本のオリーブの木を守り、育て続けることに意義を感じる」と語る。
 天保13年(1842)、和歌山市新通で油商を営む初代の冨次郎が、不純物を除き、漢方でにおいを付けた髪油「紀州びん附け」を開発した。髪を洗う習慣がなく、くしに椿油を付け、髪の汚れを落としていた時代。使用感と香りの良さは大阪、京都にまで広まった。現在でも舞台役者や芸者に愛用されているため、伝統文化の継承にと製造を続けている。
大正9年、小豆島にオリーブ園を開拓
 大正に入り、時代の変化とともにポマードや化粧品の製造販売に移行。そのころ、国は新たな商業作物としてオリーブの育成に乗り出し、地中海に気候が近いとされる小豆島に農業試験場をつくった。西洋の化粧用油に使われるオリーブに可能性を感じた現社長の祖父、4代目の富次郎は大正9年(1920)、小豆島に自家農園を開設。ここで出発点である整髪料とオリーブを結びつけ、現在のオリーブ化粧品メーカーとしての原型ができた。
 この後、農園を観光地化し、製造は和歌山、販売は現地でという今のスタイルを築き上げる。特に手ごろな価格のハンドクリームが好評で、土産でもらい、後に通信販売で買い求める客が多い。1988年に現社長が就任後は製品の質向上のため水の研究に着手、今も月に2、3回長野へ足を運び、研究者とともに思案を重ねる。
 「商品は自然のメッセージを伝える容器であると考えている。先代からは『おかげさま』『ありがとうございます』という、当たり前のことを当たり前に思わず感謝すること、というポリシーがありました。だから1日を立派に使い、忙しさや慣れに負けず、どれだけ商品に真心をこめるかが大切だと社員に教えています。オリーブを植えた祖父に感謝し、樹齢90年を超える木々とともに豊かな生命力を後世に伝え続けたい」。自然と人の手をつなぐ。
ニュース和歌山 2010年1月3日号記事