製麺一筋123年。今や全国区の知名度と人気を誇る和歌山ラーメンの土産用商品をはじめ、業務用の中華そば、うどん、そばとめんづくりに丹精を込める。「いい材料を選び、いい商品を作る。ただそれだけです」。5代目の柏木隆夫社長(59)は語る。
いい材料でいい商品を
創業は明治20年(1887)。日高から和歌山市へ出てきた柏木太次郎は、今の南海和歌山市駅近くで醤油屋を営む親戚に勧められ、うどん屋をすることに。神戸での修行を経て、和歌山市鷺の森に開業した。
扱ったのはうどんとそば。スープや具材も手がけ、弟子が屋台で販売した。「当時は冬でも汗をかいたと伝え聞いていますから、全て手で打っていたんでしょう」と隆夫社長。明治36年(1903)には、政府主催の内国勧業博覧会に乾麺を出品した。つやが出るようにと一本一本磨いて出しためんは、褒賞を受章した。
同年、東蔵前丁に移転。創業者の技術と思いはその後、2代目、3代目へと継承された。昭和20年(1945)の和歌山大空襲で工場は焼失したが、商売への思いは衰えず、戦前から使っていた製麺機を焼け跡から探し出して鍛冶屋で修理し、翌年、日前宮近くで営業を再開した。
「今もそうですが、うちは朝ご飯に必ずめんを食べるんです」。うどんにそば、さらに戦前から製造を始めた中華そば用のめん。昭和25年生まれの隆夫社長は小学生のころから、好きなめんを自分で調理し毎朝食べた。中学生になると、大晦日には年越しそばの配達にかり出された。
本格的に会社に携わり始めたのは昭和45年。「あのころはうどん屋が多かったし、景気も良かった」。その後、スーパーで低価格のめんが売られるようになった。ファミリーレストランが登場し、外食業界は多様化、まちのうどん屋は減っていった。
取り巻く環境は次第に厳しさを増した。そんな1998年、思いも寄らぬ神風が吹いた。(後編は1月23日号)
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創業100年以上の和歌山県内企業に“長寿の秘訣”を聞く「老舗魂」は第2、4土曜に掲載します。
※ニュース和歌山2010年1月9日号掲載
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