明治31年創業 和歌山水了軒〈前〉
    
老舗 魂 紀淡海峡でとれる小鯛を使い握る「小鯛雀寿し」。酢でしめた鯛で寿司飯を巻いた姿が雀に似ているとその名がつく。明治31年(1891年)創業の「和歌山水了軒」はこれを和歌山の名物に押し上げた老舗の一つ。4代目の八木一朗社長(49)は「良さを守り、時代に合う商品を生み出す時」と今を見る。

小鯛雀寿し 躍進の戦後

 一朗社長の曾祖父、八木亀太郎さんが和歌山市駅前に和歌山水了軒を創設し、駅構内で売店を営業した。亀太郎さんは大阪の駅構内で弁当を販売し成長していた大阪の「水了軒」の元社員。堺や紀ノ川駅で支店開店後、市駅前に根を下ろし、独立に至った。
 市駅前では「雀寿しはむろん、食堂や八百屋、雑貨と言うならば〝なんでも屋〟だったと聞いています」と一朗社長。亀太郎さんに続き、会社を継いだのは祖父、利三郎さん。戦前戦中の混乱で物が不足する中、昭和7年(1932年)に東和歌山駅(現JR和歌山駅)前に店舗を新設。国鉄構内で営業許可を得た。一方、空襲で市駅前店は焼失する憂き目にもあった。
 戦後、一朗社長の父の慶三さんが社長に就き躍進が始まった。時代は高度成長期へと進み、南紀への旅行客が急増した。雀寿しを「くろしお」で駅弁として味わった人を通じ全国にファンが広がった。70年代には阪和自動車道の紀ノ川サービスエリア上りで営業開始。特別、広告を打たずに交通の要所を押さえて知名度を県外で得ていった。一朗社長は「当時は新店を出す場所に疑問の声もあったらしいが、今考えると利にかなっている。先見の明ですね」。
 慶三さんは昭和63年(93年)に会長となり、社長を一朗さんに譲ったが、経営展開は会長の了承が必要だった。「品質の良い米を選んだり、新しいメニューを考えたり。私もかなりトライしましたが、なかなか提案を通してもらえなかった。『顔洗って出直してこい』みたいな言い方をするので、反発もしてましたね」
 その父は昨年12月、88歳で急逝した。父が背負っていたものが一朗社長の両肩に押し寄せてきた。
  (後編は3月27日に掲載)

写真=創業は和歌山市駅前だった

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 創業100年以上の和歌山県内企業に“長寿の秘訣”を聞く「老舗魂」は第2、4土曜に掲載します。

ニュース和歌山2010年3月13日号掲載