慶長3年創業 和歌の浦井本薬房〈前〉
    
老舗 魂 高度経済成長期の海外旅行ブームの際、「海外旅行のお供にみかん、梅干し、“わかのうら”」と言われ、旅人の胃腸薬として親しまれた和歌保命丸。戦国時代に地元住民に伝えられた生薬の調合が起源で、和歌山市和歌浦中の養泉寺で江戸時代から販売されている。
教如が伝えた万能薬

 製造する和歌の浦井本薬房の社長は代々、同寺の住職を務め、現在は17代目の井本誓亮さん。息子の弘司さんは「『この薬で助かった』『なかったら困る』との声をもらうのが何よりのやりがい。安心して使える薬を作り続けたい」と話す。薬の調合は戦国時代、織田信長との戦に敗れ、雑賀崎の鷹の巣岩窟に落ち延びた本願寺の教如上人が伝えた。教如は東本願寺の法主であったため、同じ宗派だった井本さんの先祖が手厚く保護した。その好意への報いとして薬の処方が養泉寺に伝わったのが有力な説だ。近隣住民が体調を崩した際は薬を施していたと言われる。
 江戸時代初期には寺が店を立ち上げ、薬の製造、販売を始めた。『紀州徳川史』によると「長屋町(現在の明光通り)に和歌保命散の薬を製る店あり」とあり、同寺に残る掛け軸には「和歌の浦 かげんほうめいさん せんき せんしゃく はら一切の 妙やく」との売り文句と薬売りの姿が描かれている(写真)。
 大阪、奈良などで売られ、生姜(ショウキョウ)、当薬(センブリ)など当時は24種の生薬で作る薬で、腹痛以外にも効果がある万能薬とされ、「わかのうら」の愛称で親しまれた。「初夏になると薬売りの声が村に響き、金魚売りに並ぶ夏の風物詩だったようです」と弘司さん。
 明治になり、流通手段が進歩すると全国に広がり、飲みやすさを求める声が強くなった。漢方特有の苦さを改善するため、昭和初期には粒状に加工し、「和歌保命丸」として売り出すようになった。高度経済成長期を迎え海外旅行を楽しむ人が増えると、海外の水が合わず体調を崩す人が続出し、旅人の必需品として重宝されるようになった。
(次回は8月28日掲載)

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 創業100年以上の和歌山県内企業に“長寿の秘訣”を聞く「老舗魂」は第2、4土曜に掲載します。

ニュース和歌山2010年8月14日号掲載