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--------和歌浦の景観保全を目的とするグループ「和歌の浦フォーラム」を主宰しています。
2003年に、県が和歌浦の芦辺屋旅館跡を公園に整備する計画を出しました。その時、現地に建つ芭蕉句碑を元あった場所に戻そうと提案し、04年1月にシンポジウムを開催。それをきっかけとして、同年の4月に結成しました。
--------具体的な活動内容は。
和歌浦は、不老橋あたりから東側に広がる干潟、布引、名草山、長峰山脈を望む景観に価値があります。万葉の時代はもっとパノラマが広がったのでしょうが、いまの景観も本当に貴重。この方面に高い建物が建たないよう、現地見学会をはじめ、南方熊楠や夏目漱石、東京にある和歌浦を模した六義園、紀三井寺に残る参詣曼陀羅などをテーマに、フォーラムやシンポジウムを開き、自分たちで意見提言しています。「布引の松」と知られた松がどの程度の大きさだったのか、その高さまでバルーンをあげたこともあります。
--------活動を始めたきっかけは。
私は和歌浦生まれで、いまも和歌浦に住んでいます。36歳の正月のことですが、普段から慣れ親しみ見飽きたはずの鏡山の岩が、「この世のものと知れない」ほど美しく見えたことがありました。その時、「これから和歌浦を壊すような工事があれば、絶対に反対してやる」と心に誓いました。
--------車を通すため、県が新不老橋(現・あしべ橋)を建設する計画を出したときも反対しました。
1988年5月にニュース和歌山で計画を知りましたが、当初「こんなのウソだ」と信じられませんでした。秋に現地で「ここからここまで橋が架かる」とロープを張って示されたのを見て、集まった人たちと「和歌浦を考える会」を結成。撤回を求めて訴訟を起こしましたが、覆すことはできませんでした。
--------フォーラムの今後は。
景観は美的問題ですが、倫理的な問題とも思います。そういう意識がなければ、美しいものを守れない。景観にかかわる若い人も増えてきましたので、良い判断をする人が一人でも多くなるよう勉強会を続けてゆくつもりです。
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(2)人と人つなぐ原動力に
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とうげん塾 中畑智成代表(36)、東元正臣さん(66)
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--------まちづくりセミナーを5年にわたり毎月続けています。
中畑 「このままじゃ和歌山はいけない」という気持ちを抱いた仲間が、「とにかく一歩を」とセミナーを開いたのが始まりです。まちづくりの一般論や他地域の事例の講座から始めました。一般市民やNPO関係者、大学生、政治家と様々な人が参加しています。
--------和歌浦湾に面した古民家(和歌山市和歌浦南)が会場ですね。
東元 昭和初期の建物で、私の母が住んでいたのですが、亡くなり空き屋になりかけていました。その時、セミナーの会場にとの話があったのです。公共施設のように時間制限がなく、車座でとことん話しあえます。
中畑 人と人をつなぐ原動力になっていると思います。
--------どんなテーマが多いですか。
東元 「歩いて楽しい」まちづくりが大切なのに、今は車で点から点へと移動するのが主流になっています。その辺りを考えようと公共交通について専門家を招いて突っ込んだ議論をしました。和歌浦や雑賀崎にコミュニティバスを走らせ、気楽に歩いて利用できる形を考えました。実現は難しいですが、今後、団塊世代の参加が進むと夢ではないと思っています。
--------和歌浦の再認識につなげる活動が盛んですね。
中畑 3年前にはヨットを借りて海から和歌浦をみる催しを行い多くの人が集まりました。山の傾斜地に民家が並び、地中海と変わらないと感動しました。魅力と同時に、開発が進んで残念な部分の両面がみえたのが大きかった。
東元 昨年(2006年)5月には留学生に和歌祭を見学してもらう交流会を開きました。留学生に伝えるのは和歌浦の世界発信になります。
--------防災にも力を入れています。
中畑 昨年8月に避難誘導灯を和歌浦湾近くの高台に設置しました。太陽光と風力で発電するもので、普段は常夜灯として使えます。試験使用しながら防災意識の高揚につなげたい。地震や津波のシミュレーションにも取り組んでおり、防災をまちづくりの大きなテーマのひとつにしたいです。
--------和歌浦の今後は。
中畑 人に継続的に来てもらう動機になるものが必要です。定期的な「市」みたいなものが理想的ですが、そういうものを和歌浦につくれたらいいですね。
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(3)普段付き合い より深く
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地域通貨わかの会 保井彰友会長(71)
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-------地域通貨で和歌浦地区の活性化を目指しています。
商店街活性化はもちろんのこと、普段付き合いのできる人間関係を住民間で広げようと始めました。2003年に会を結成し、翌年から活動をスタートさせました。地域通貨で商店街が活発になれば地元での買い物が進み、交流の輪が広がります。また、買い物だけでなく住民間の助け合いにも活用することで、知り合いが増え、付き合いも深まります。
-------地域通貨「わか」はどのように活用していますか。
地域通貨を1年半研究した人が地区の出身者にいて、研究成果を地元で試そうと提案がありました。人口が1万人前後で、地域内の共通認識や空間意識があったのが実践する適正条件に合致していました。入会時に“一万わか"の入った通帳をもらい、「パソコンが得意」や「肩たたきします」など自分の得手を登録し、会員のリストの中から自分の求める“お手伝い"のできる人を探してわかで買います。内容は草むしりや電球交換など日常的なものです。地域内で買い物する際、購入額の一部をわかで支払うことができます。現在の登録者数は90人ほどですが、200人まで増やしたい。
-------高齢化が進み、住民間の助け合いが重要になってきます。
一人で暮らし、身体の自由が利かない高齢者にとって、「何かをして欲しい」ではなく「一緒にいてくれる」ことが大事です。何かを一緒にしたり、近くにいてくれる人の存在が高齢者にとって癒しになる。地域の人間関係を深め、助け合うきっかけ作りに地域通貨が役立っています。会員の顔を知り合う交流会も開いています。囲碁やギターの教え合い、防災をテーマにした勉強会などで知り合い、その後は個人間でわかを通した交流をして人間関係を深めてもらいます。
-------今後の展望は。
わかを現金に換金できないことや、個人の持つ得手を商売に活用するのが難しく、商店街での浸透がまだまだです。住民間で顔や名前を知り合って地域の連帯感を強めることで、子どもが安心して暮らせる環境づくりにつなげたい。地域通貨で和歌浦地区の活性化を目指しています。
商店街活性化はもちろんのこと、普段付き合いのできる人間関係を住民間で広げようと始めました。2003年に会を結成し、翌年から活動をスタートさせました。地域通貨で商店街が活発になれば地元での買い物が進み、交流の輪が広がります。また、買い物だけでなく住民間の助け合いにも活用することで、知り合いが増え、付き合いも深まります。
-------地域通貨「わか」はどのように活用していますか。
地域通貨を1年半研究した人が地区の出身者にいて、研究成果を地元で試そうと提案がありました。人口が1万人前後で、地域内の共通認識や空間意識があったのが実践する適正条件に合致していました。入会時に“一万わか"の入った通帳をもらい、「パソコンが得意」や「肩たたきします」など自分の得手を登録し、会員のリストの中から自分の求める“お手伝い"のできる人を探してわかで買います。内容は草むしりや電球交換など日常的なものです。地域内で買い物する際、購入額の一部をわかで支払うことができます。現在の登録者数は90人ほどですが、200人まで増やしたい。
-------高齢化が進み、住民間の助け合いが重要になってきます。
一人で暮らし、身体の自由が利かない高齢者にとって、「何かをして欲しい」ではなく「一緒にいてくれる」ことが大事です。何かを一緒にしたり、近くにいてくれる人の存在が高齢者にとって癒しになる。地域の人間関係を深め、助け合うきっかけ作りに地域通貨が役立っています。会員の顔を知り合う交流会も開いています。囲碁やギターの教え合い、防災をテーマにした勉強会などで知り合い、その後は個人間でわかを通した交流をして人間関係を深めてもらいます。
-------今後の展望は。
わかを現金に換金できないことや、個人の持つ得手を商売に活用するのが難しく、商店街での浸透がまだまだです。住民間で顔や名前を知り合って地域の連帯感を強めることで、子どもが安心して暮らせる環境づくりにつなげたい。
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(4)万葉の風景 後世に
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洋画家 中尾安希さん(65)
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-------本格的に和歌浦を描き続けて20年あまりと聞きました。
生まれは紀三井寺。子どものころは和歌浦でよく魚釣りや貝掘りをしました。20代後半、有吉佐和子に負けない紀の川をと、川沿いの風景を描き始めたところ、あちこちで万葉歌碑を見つけ、30代後半から万葉集に詠まれた風景に取り組みました。その後、不老橋の景観問題を機に、特に和歌浦に注目するようになりました。
-------1996年から10年間、元旦にあしべ橋周辺で「初日の出を描く会」を開きました。
橋の是非を問う裁判が終わり、「橋周辺の風景は再起不能」との声もありました。ただ、私はまだ美しい景色が残っていると感じていて、それを知ってもらおうと企画しました。絵を描く人、写真に収める人、俳句や短歌を詠む人、太陽に向かって拝む人……。多い年は250人が集まりました。
-------昨年10月には「画家の眼がねでのぞいて見よう 朝の和歌の浦」と題した会を実施しました。
眺めの良い場所や歴史を紹介しながら歩きました。その際、中央を長方形に切り抜いた紙を参加者に配り、絵を描く時に構図をとるようにのぞきながら景色を見てもらいました。漠然と見るだけでは気づかない発見があるんですよ。
-------4年前から「和歌の浦画塾」を開き、指導しています。
その年にオープンしたアートキューブから文化発信をと始めました。生徒は初心者中心に約20人。「風景を描く時は散歩したくなるような絵に」と伝えています。
-------最も好きな和歌浦の風景は。
名草山からの日の出をアートキューブの辺りから見ると、ちょうど逆光になり、対岸の建物が見えにくくなる。その瞬間、万葉の時代にタイムスリップできるんです。和歌山に住んでいても、妹背山や奠供山など知らない人が多いですが、まず地元の人にこの素晴らしい景色を知ってもらうため、歩く会などきっかけづくりを続けたい。いま、今年の初日の出をテーマにした500号の作品を制作中で、完成後は1日、和歌浦の路上に置こうと考えています。見た人のうち、1人でも「来年、ここで初日の出を見たい」と思ってくれればうれしいですね。
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(5)「ごちそう」大切に
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万葉薪能の会 松本敬子代表(65)
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-------1999年以来毎年、片男波公園野外ステージで万葉薪能を上演しています。
山部赤人の和歌浦を詠んだ短歌が題材の喜多流の能『鶴』を日前宮で観て、「これを和歌浦で上演できたらどんなに素晴らしいだろう」と思い、仲間が集まったのがきっかけです。和歌浦は万葉の時代から現在も続く歴史的な景勝地。薪能以外にも、先祖が脈々と伝えてきた和歌浦そのものと文化を次世代へつなぐ役割を果たそうと、セミナーを開催しています。
-------薪能には毎年約1000人もの観客が集まるそうですね。
和歌浦での薪能には、プラスの「ごちそう」があります。潮の香りや波の音、名草山にかかる月などを味わえる。それらを昔の人々も同じ気持ちで愛でたのかなと考えながら観ていただく。片男波の野外ステージはすり鉢状で、周囲に松が生えていて、薪能にはぴったりです。評判は口コミで広がり、県外からも大勢来場されます。
-------2004年から、和歌祭で使用する百面の再生事業に取り組んでいます。
百面はほとんどが江戸期から受け継がれているものですが、実際に被るため損傷は否めません。では、使わなければいいのかといえばそうではありません。面はそもそも被るためにつくられたもの。一般のみなさんに寄付を募り、能面文化協会と協力し、「百面」という演目を存続させるためにも新たに制作する形で、昨年までに三十八面を東照宮に奉納しました。
-------高津子山の清掃整備活動もしていますね。
会主催のウォーキングで春の高津子山を訪れ、見事な満開の桜に改めて気づきました。かつて「新吉野」と呼ばれた地を再び桜の名所として復活させようと始めました。汗だくになりますが、美しくなった山を見ると、すがすがしく幸せな気持ちになります。
-------今後の展望は。
活動を重ねるたびに和歌浦からパワーをもらい、やりたいことをやらせていただいているという気持ちが強くなりました。まずは今までの活動を継続していくこと。その上で、地域の人たちと手を結び、横のつながりの中で和歌浦に貢献できればと考えています。
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(6)みんなが憩える場所づくり
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トンガの鼻自然クラブ
中口重喜副代表(65)、山崎典子さん(54)
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-------奥和歌浦と呼ばれる雑賀崎地区の「トンガの鼻」が拠点です。
中口 江戸時代、紀州藩が海防のために砲台やのろし場を設けた場所で、今も石垣や土塁が残っています。こうした台場は県内41カ所に築かれましたが、跡が残るのはここだけ。2002年、雑賀崎の自然を守る会が県道から台場のある岬の先端までの里道をどう整備するかについて考えるワークショップを計4回開き、同年12月にクラブが発足しました。
山崎 私は大阪出身で、和歌山市内に移って約20年。この辺りの海にほれ込み、ワークショップに参加しました。クラブは地元雑賀崎の人とワークショップ参加者ら42人でスタートし、現在の会員は約110人に増えています。
-------どのような活動を。
中口 毎月第3日曜に集まり、里道整備を中心に行っています。途中に設けた広場にはカブトムシやクワガタ捕りができるよう樹液の出るクヌギを、また、野鳥を呼ぼうとブルーベリーやクロガネモチなど実のなる木も植えました。このほか、番所庭園北にあるなだの浜の清掃も年2回行っています。
-------自然を守る会との共催で春秋の彼岸に開く「夕日を見る会」はすっかり定着しました。
山崎 毎回、500人を超える人が集まり、雑賀崎灯台はカメラを持った人たちですずなりです。去年は特にきれいで、淡路島の向こうに沈む瞬間、一斉に拍手が起こりました。98年から開いていますが、こんなことは初めてでした。
-------トンガの鼻の認知度は少しずつ高まっているようです。
山崎 広場にノートを置き、感想など自由に書いてもらっています。のろし場があったぐらいですからお城が見えるのですが、泉南から来てくれた人は「こんな景色のいいところがあったとは」と驚いていました。私自身、元々海が好きでしたが、活動を通じ地域への愛情が深まりました。眺めていると海を抱きしめたくなるんですよ。
中口 会発足当時から、ワークショップで出た意見を元に整備を進めてきました。今後も歴史や文化、自然を保全しながらも活用でき、子どもからお年寄りまでみんなが憩える場所にするため、活動していきます。
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(7)未来を担う心育てたい
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妹背山護持顕彰会 松本惠昌会長(45)
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-------妹背山の海禅院を江戸時代の姿に戻すのが目標です。
海禅院は、紀州徳川家初代藩主頼宣の母、養珠院が家康の33回忌に際して人々の平和と幸福を祈り、お経を書いた石を妹背山に埋めたのがはじまりです。養珠院の思いに賛同した後水尾上皇や庶民も経石を寄せ、その数は20万個に及びました。男女や身分を超え、心をひとつにして祈った歴史的な意義のある場所です。しかし、時代を経て拝殿や唐門が取り壊され形は変わっています。海禅院を充実し復興させ、多くの人に和歌浦そして和歌山をもっと好きになってもらいたいと願っています。
-------発足から5年。経石の発掘は注目を集めました。
発掘は復元整備にむけた調査をかねていました。3年かけ多宝塔の地下から約15万個を掘り出しました。経石一つひとつは祈りであり願いです。発掘は市民ボランティアの方に協力して頂いたのですが、時空を超えた人の祈りを手にして感じるところも多かったと思います。発掘した経石についての研究成果は前県立博物館副館長の菅原正明さんが「経石通信」とのタイトルで会のホームページ(http://imosefutatabi.net/)で公開しています。毎週更新し、先日、100号に及びました。
-------8月に片男波で開く精霊流しはたくさんの人を集めています。
私たちは復元だけでなく妹背山を現代を生きる人の心を育む場にしたい。その思いからはじめ、これまで6回行い、多い時で1000人が集まりました。精霊流しは亡くなった方の弔いで、見えなくなった人と今を生きる人をつなぐ大切な行事です。特に子どもや若い人たちに、亡き人に思いをはせながら和歌浦の美しい情景を心の1ページに残して欲しい。それが未来を担う心を育てます。春の和歌祭、秋の万葉薪能とともに季節の風物として定着させたいですね。
-------今後の展望は?
妹背山は和歌山で1番、全国で10番目に低い山ですが、眺めは本当に素晴らしい。これを前面に出し、「登頂証」を発行し観光振興につなげるなどアイデアはあります。和歌浦は時空を超えた感動を得られる場所です。それを大切にし、平成の世にふさわしい復元を果たしたいです。
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(8)出演を誇りに思える祭に
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和歌祭保存会 青年部部長 保井元吾さん(42)
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-------和歌浦東照宮を拠点に、400年近い伝統を誇る和歌祭の伝承に取り組んでいる保存会。昨春、青年部の部長に就任しました。
商工祭の一環になっていた和歌祭を地元で開催するため、保存会に青年部ができた1999年からかかわっています。和歌祭は神輿、唐船、連尺、母衣(ほろ)、長刀など60以上の種目があり、演舞しながら練り歩く芸が多数あります。芸ごとに「株」という組織があり、そこが中心となって芸を伝えてきたのですが、中には既に途絶えてしまったり、途絶えかかっている芸もあります。昔の形に戻そうと取り組んでいます。
-------復活はどのようにして。
江戸時代の絵巻や文献、昔のフィルムを参考にしています。絵巻から唐船の幟(のぼり)を再現。また、和歌祭の歌を覚えている人を見つけて歌ってもらい、録音して採譜しました。昨年は相撲取を復活させています。私は摺鉦(すりがね)と太鼓の担当ですが、それぞれ担当する芸を習得し、教えられることを目指しています。
-------今年も新たな取り組みを考えているのですか。
観光に来てくれた人に少しでも長く祭の雰囲気を楽しんでもらうため、5月12日(土)に東照宮とその周辺で前夜祭を行います。昔は1週間ぐらい祭一色だったそうです。前夜祭では、和太鼓や雅楽の演奏、フリーマーケット、夜店、また、子どもたちが太鼓を叩く体験コーナーを設ける予定です。
-------今後の課題は。
株組織で芸を伝えてゆくのは理想ですが、限界もあると思います。株のバックアップのほか、芸を継承してゆく土壌をつくるのが青年部の役割。特に、将来を担う子どもたちに興味を持ってもらえるよう、昨秋、和歌浦小学校の130周年記念式典で子どもたちに芸を披露してもらいました。これをきっかけに参加してくれる子が増えればと考えています。また、青年部には百面に使う面を彫るグループがあり、自分で祭の道具を作ることで祭への愛着が深まります。こういった取り組みを通して、出演できることを誇りに思える祭として地域に伝えてゆきたいのです。
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