きのう3月11日で東日本大震災から丸5年を迎えた。県危機管理・消防課によると和歌山県内への避難者は、登録しているだけで39世帯88人。和歌山での永住を決意した人、将来を案じながらも故郷へ戻る日を心待ちにしている人…。福島県出身の2人に話を聞いた。

父の遺志継ぎ農業の道へ トマト農園を経営 永井 伸哉さん

16031201_nagai 「5年前、まさか自分が和歌山で農業をしているとは思ってもいませんでした」。そう語るのは、紀の川市でトマト農園を経営する永井伸哉さん(33)。福島県大熊町の実家は福島第一原子力発電所から約3㌔で、今も帰宅困難区域に指定されている。

 震災翌日、原発の危険な状態を知らされ、避難を余儀なくされた。行き先は母の実家がある和歌山市。ふるさとは間もなく帰宅困難区域に指定され帰郷を断念、和歌山で暮らそうと決めた。

 農業は全く経験がなかったが、父が将来、家庭菜園をしようと考えていたことから始めることに。しかし、県農業大学校入学直前、父が病気で急死した。ショックは大きかったが、他の選択肢を考える余裕もなく、そのまま農業の基礎を学び、海南市でトマトと野菜の栽培を始めた。

 現在は紀の川市で借りた1200平方㍍のハウスで農業を営む。昨年初夏と今年2月にそれぞれトマト約7㌧を出荷。「まだまだ初心者で試行錯誤の繰り返しです。経営は楽ではありませんが、自営業で苦労していた父を思い出します。農業を第二の人生のスタートと思い、父を安心させたい」と決意を語る。

写真=トマトの収穫を終えた今は赤カラシ水菜を栽培中の永井さん 

故郷の教え子と剣道再び 女性向け教室主宰 佐藤 勉さん

16031201_sato 佐藤勉さん(71)の自宅は福島第一原発がある大熊町の南隣、富岡町。現在、自宅付近は居住制限区域だが、早ければ来年4月にも指定が解除され、戻れる可能性が出てきた。しかし、「家は至る所、ねずみにかじられ、住める状態ではないし、やはり放射線が心配。福島には戻りたいが、富岡は難しいでしょう」。

 27歳の時、富岡町少年剣道団を立ち上げて以来、剣道を通じた青少年育成に尽力。全国優勝者も7人育てた。しかし、あの震災で、教え子たちと離ればなれになった。

 妻と共に避難したのは、娘夫婦が住む和歌山市。移って間もなく、女性対象の剣道教室を立ち上げた。教室名は故郷を忘れないようにと、富岡町の〝富〟を採り、「富徳館」と名付けた。

 故郷の教え子の多くは富岡町から車で約50分のいわき市で暮らし、今も剣道団の活動を引き継いでくれている。毎月の練習表が必ず郵送されてくるほか、近況を伝える手紙も毎週のように届く。

 自宅は解体を決意。来週19日(土)に一時戻り、家財道具を整理する。教え子も手伝いに来てくれる予定だ。「あと6年で剣道団結成50年。故郷で稽古している時に大往生できたら、本望です」

写真=教え子たちからの手紙に目を通す佐藤さん

寄り添い続ける民生委員 辻澤廣さんに聞く

16031201_tujisawa 和歌山への避難者を支援する活動も5年を迎えた。和歌山市の川永地区で民生委員を務める辻澤廣さん(71)は、今も生活相談に乗り続ける。

 県が地区内の県営住宅に避難者を受け入れたのがきっかけ。昨年6月には地区外に住む避難者への個別訪問も始め、紀の川市や海南市など14家庭を訪ねた。「母子避難が多く、故郷にいる夫からの仕送りが減ったり、帰郷するよう言われたりで、離婚問題が増えています。また、自主避難者への県営住宅の無料貸与も来年度末で終わり、高齢の避難者は経済的に苦しくなる。5年の節目を迎え、精神的疲労と経済的な問題に直面しています」と顔を曇らせる。

 「時と共に支援が少なくなる中で、避難者それぞれが抱えている事情や課題は十人十色。打ち明けてもらえる関係を築き、1人ずつ向き合っていくことが、今の自分にできることだと思います」。活動を支える善意は色あせない。

写真=辻澤廣さん

(ニュース和歌山2016年3月12日号掲載)