少子化やスポーツ活動の多様化で選手が減り、チームを編成できなくなった小学生軟式野球クラブの統合が進んでいる。和歌山市軟式野球連盟学童部では昭和末期の最盛期、48クラブに2200人以上が在籍したが、今は36クラブ、700人。和歌山県連盟の海南・海草支部や那賀支部も合併チームが増えた。侍ジャパンの小久保裕紀監督をはじめ、数々の有名選手を輩出してきた〝野球王国和歌山〟の足元が縮小しつつある。

 土日ともなれば、各地の小学校やグラウンドに、ボールを追いかける子どもたちの姿。和歌山ではなじみの光景だが、和歌山県軟式野球連盟の田上英勝学童部長は「たいていの小学校区にクラブがあったことや、低学年の大会が30年以上続くのは、全国的に珍しい」と伝統を強調する。

 かつては1つのクラブが数十人の選手を抱え、6年生以下のA級、5年生以下のB級、4年生以下のC級と、それぞれチームを編成。時には、1小学校区に2クラブ存在することもあった。

 こんな状況に変化が現れてきたのは、1990年ごろ。選手が減り、1〜6年生を合わせてもA級しか編成できずに大会へ出場するクラブが出始めた。低学年も試合に出るが、高学年と混じれば危険度が増すだけでなく、まともな試合になりにくい。

 さらに、1チーム分すら選手が集まらず、和歌山市では本町が城北と統合。2000年代に入り、雑賀と雑賀崎、雄湊と城北・本町が合併したころから加速し、ここ3年で6クラブが統合した。最盛期に30以上のクラブがあった海南・海草支部は11、那賀支部も21が16となった。

 合併すると、練習場所でなくなった方の小学校では、友人が野球をする姿に触れる機会が減り、さらに入部者が減るという悪循環に陥りやすい。中には、「一緒にやっていた友達が『別のチームになるのなら』と辞めてしまった」という子もいる。田上部長は「一度合併してしまえば元の2クラブに戻すのは難しい。1小学校区でチームを組めるのなら、クラブのやる気が上がる。可能な限り合併せずに存続を」と願う。

 3年前には和歌山市の学童部が少子化問題対策検討委員会を立ち上げ、複数クラブの低学年児童が合同チームを組み、大会に参加できるようにした。合併を前提とせず、試合の喜び、楽しさを味わってもらうための措置だ。

 一方、合併にメリットもある。試合ができるのが一番だが、昨年統合した有功鳴滝クラブの加藤紘司代表は「A、C級の2チームなら、年代に応じた練習や試合ができる」と話す。A級で1人だけ鳴滝小に通う4年の福永煌(ごう)くんは「有功に保育園の時の友達がいたし、野球ができたのがいい」とほほ笑む。

 一連の流れに、保健体育が専門の和歌山大学、本山貢教授は「『練習時間が長く、お茶当番がある』と敬遠する保護者がいる。野球は地域に定着しているだけに、経験に頼らない指導、効率的運営など活動を見直す時期」と指摘する。

 30年以上、和歌山は「都道府県別プロ野球選手輩出率全国1位」を続けてきたが、近年はその地位を明け渡す。すそ野の広がりが発展につながるだけに、流れに任せるのか、小学校区にこだわらない入部を認めるといった方法を模索するのか。これからのかじ取りが注目される。

写真=合併し試合に臨む今福吹上クラブ

(ニュース和歌山より。2017年3月18日更新)