こ(5)い(1)の語呂合わせから、5月1日は「鯉の日」。熊野古道が通る海南市下津町橘本の峠地区には、その昔、病気を患うと、〝峠の地蔵さん〟の名で親しまれる地蔵峰寺で願をかけ、すぐ近くの池で飼われている鯉を譲り受けて食べる風習があった。明治時代以降、この習慣はなくなったようだが、今も鯉は8軒の住民が大切に世話を続けている。

熊野古道沿い 地蔵に残る言い伝え

 熊野三山を目指す人々にとって最初の難関と言われた藤白坂。その急な坂を登り、たどり着いた標高約300㍍の頂上付近が峠地区だ。地区内に入り、まず目に入るのが地蔵峰寺。中には高さ3㍍あまりの地蔵菩薩坐像がまつられ、建物、地蔵とも国の重要文化財に指定されている。

 ここから数十㍍南、熊野古道沿いに25㍍×45㍍ほどの長方形をした池がある。目を凝らすと、黒を中心に、赤、白、紅白の魚影。「以前は300匹ほどいましたが、今はどれぐらいいるでしょうか」。そう話すのは、地蔵峰寺の総代で、この地区で生まれ育った池田博一さん(82)。

 また、池田豊子さん(79)は「祖先はこの峠で茶店をしていたそうです。何軒かあり、うちは大正の初めごろまで開いていたと聞いています」と話す。地蔵峰寺の裏手にある「御所の芝」は淡路島や四国も見渡せ、江戸時代の地誌書『紀伊国名所図会』で「熊野路第一の美景なり」と絶賛された場所。旅人たちはその景色と、茶店のすぐ前を泳ぐ鯉に癒やされたことだろう。

 地区にはこんな言い伝えが残る。かつて肺炎や結核になると、お地蔵さんに願をかけに来た。その際、池の鯉を1匹もらって帰り、身を生のまま食べ、生き血を飲み、病気が治ると鯉を2匹にして返した。こうして鯉は増えていった──。

 博一さんは「明治生まれの祖父は、鯉を食べたことはなかったそう。それ以前、江戸時代ぐらいまで続いていたと思われます」。熊野古道の散策者を案内する海南市語り部の会の谷口傑(すぐる)さん(76)は「延命地蔵と呼ばれる地蔵峰寺の池を霊泉と考え、神聖な池にいる鯉をいただいたのではないでしょうか」と推測する。

 風習がなくなった今も地区住民が鯉を世話する。えさやりは3軒が担当。その1軒の豊子さんは「私がえさをやる朝7時にはうちの前に鯉が集まっています。昨年、夏の暑さで大きな鯉がたくさん死んでしまい、追加したんですが、新しい鯉もちゃんと来た。古くからいる鯉が誘導するんですかね?」とにっこり。

 近年は鯉をねらう鳥が増えた。このため、現在は池の上にマグロ釣りに使う太めの糸を50㌢ほどの間隔で張っている。また、水中の酸素が不足しないよう、夏場はポンプを稼働させている。

 高齢化が進む地区で世話を続けるのは一苦労。10年ほど前、〝鯉へのご協力を〟とはり紙をし、脇に募金箱を添えた。博一さんは「熊野古道を散策する人たちが入れてくれ、えさ代やポンプの電気代に使わせてもらってます。子どものころから〝お地蔵さんの鯉〟と教わってきた私たちにとって、鯉の世話は生活の一部。鯉がいる限り、大事に守り続けます」。

 こいのぼりが悠々と風に揺られる季節。峠の池でも鯉たちが地域住民に見守られながら、今日ものんびり泳いでいる。

(ニュース和歌山より。2017年4月29日更新)