明治期 鉄道唱歌の先駆け?

 1898(明治31)年、紀和鉄道が和歌山初の鉄道として和歌山駅(現JR紀和駅)〜船戸駅間で開通したのを記念し作られた「中間起工式廼歌(ちゅうかんきこうしきのうた)」の歌詞が見つかった。ニュース和歌山3月3日号「紀州百景」第10回「和歌山駅(現紀和駅・明治〜大正)」を目にした読者から連絡があった。鉄道のれい明期に流行した鉄道唱歌の先駆けの可能性があり、専門家から「一考の余地のある貴重な史料」との声が出ている。

 縦12㌢、横17㌢の青みがかった和紙に横書きで「中間起工式廼歌」と記されている。紀和鉄道は開通後、1900年に五條まで全通。歌詞からその間の1899年に発表されたとみられる。

 作者は「桜心館員 江口買笑」。歌は「日進月歩の今日は 運輸の便の開けたる 夕に西の月を観る」と始まり、「紀和の鉄道は 和歌山船戸の七哩(マイル) 去年の春に開業して 他にも劣らぬ線路也」と続く。「紀伊の国の魁(さきがけ)で 橋本五條の六哩 乗客貨物は最も多く 中間工事はやむなくも 一時中止はした物の 一般社会の熱望と このまま眠りて居るべきや 実に慶賀の至りなり」と当時の経済事情で一時中断した事情にふれ、最後に「気笛一声勇ましく 煙は跡に残りても 粉河妙寺や橋本を 行くはわずかに一時間 愉快」。

 歌詞を所有していた男性は和歌山市の民家を解体した際に譲り受けた。「紙の大きさから関係者に封書で送ったと思われます。当時の様子が書かれており、面白いので保管していました」

 和歌山市立博物館の太田宏一学芸員が写真で確認したところ、「見たことのない史料」。国内初の鉄道開通が1872年と当時はまだ汽車や市電が極めて珍しく、また西洋音楽が日本に入った時期と重なり、このころは鉄道唱歌が流行した。しかし、太田学芸員は歌の一節「去年の春に開業して」に着目。「この歌は1899年で、鉄道唱歌が流行し始めるのが1900年以降。一歩早く和歌山で鉄道の歌が作られた可能性が考えられ、検討に値する。作者名から何か分かるかもしれない」と考える。

 「紀州百景」執筆者で、古書肆「紀国堂」店主の溝端佳則さんは「紀和鉄道は和歌山初の鉄道ながら史料は少ない。こういう形で古い史料に光があたるのはうれしい」。男性は「当時の電車時刻表もたくさんあり、後世に残せるよう整理しておきたい」と語っている。

写真=和歌山市内の民家で発見された歌

(ニュース和歌山/2018年6月16日更新)